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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)4475号 判決 1998年9月28日

主文

一  被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井は、各自、

1  別紙認容額一覧表原告番号欄記載の番号が32ないし41の各原告らそれぞれに対し、各原告に対応する同表認容額欄記載の各金員及びこれに対する平成六年一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員

2  同表原告番号欄記載の番号が42の原告に対し、同原告に対応する同表認容額欄記載の金員及びこれに対する平成三年九月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員

3  同表原告番号欄記載の番号が43ないし45の各原告らそれぞれに対し、各原告に対応する同表認容額欄記載の各金員及びこれに対する平成六年六月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員

4  同表原告番号欄記載の番号が46及び47の各原告らそれぞれに対し、各原告に対応する同表認容額欄記載の各金員及びこれに対する被告エイエム三井については平成六年九月二一日から、被告アートメーキング三井については同年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員

を支払え。

二  原告らの被告越山及び被告エフエムエスに対する請求並びに第三ないし第六事件原告ら(ただし、認容額欄に一〇〇〇万円と記載されている原告らを除く。)の被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、全事件原告らに生じた費用の九六分の一六と被告エフエムエス、被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井に生じた総費用の二分の一との各一六分の一について、第三ないし第六事件の原告に対応する同表原告負担割合欄記載の割合部分を当該各原告らの負担とし、第三ないし第六事件の原告に対応する同表被告負担割合欄記載の割合部分を被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井の連帯負担とし、被告エフエムエス、被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井とに生じたその余の費用と被告越山に生じた費用を原告らの負担とし、全事件原告らに生じたその余の費用は原告ら各自の負担とする。

四  この判決は、一項に限り仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一章  請求

第一  第一事件

一 第一事件の被告らは、各自、原告原田房代に対し、一七五〇万円及びこれに対する平成五年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 二 第一事件の被告らは、各自、原告泉浩也に対し、一二五〇万円及びこれに対する平成四年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第二 第二事件

第二事件の被告らは、各自、第二事件の原告らそれぞれに対し、一〇〇〇万円及びこれに対する被告越山については平成五年一〇月一七日から、被告エフエムエスについては同月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第三 第三事件

第三事件の被告らは、各自、第三事件の原告らそれぞれに対し、一〇〇〇万円及びこれに対する被告越山については平成六年一月一五日から、被告エフエムエスについては同月一五日から、被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井については同月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第四  第四事件

第四事件の被告らは、各自、原告高橋信雄に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成三年九月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第五  第五事件

第五事件の被告らは、各自、第五事件の原告らそれぞれに対し、一〇〇〇万円及びこれに対する被告越山については平成六年六月二三日から、被告エフエムエスについては同月二四日から、被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井については同月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第六  第六事件

第六事件の被告らは、各自、第六事件の原告らそれぞれに対し、一〇〇〇万円及びこれに対する被告越山については平成六年九月一三日から、被告エフエムエスについては同月一七日から、被告エイエム三井については同月二一日から、被告アートメーキング三井については同年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二章  事案の概要

本件は、RK手術により損害を受けたとして、債務不履行、不法行為等により損害賠償を請求した事件である。

第一  争いのない事実及び証拠上認定できる事実

一 岩井眼科及び香川眼科

岩井眼科は、平成二年春ころから平成四年一月一三日まで、大阪市淀川区西中島四丁目四番一六号新大阪天祥ビル六号館三階に開設されていた診療所である。 香川眼科は、平成四年一月一四日から同年三月一六日までは新大阪天祥ビル六号館三階に、同月一七日から同年九月までは大阪市淀川区西中島三丁目二一番一三号新大阪天祥ビル二号館九階に開設されていた診療所である

二 原告ら

原告らは、次のとおり、岩井眼科又は香川眼科(なお以下、岩井眼科を含めて「香川眼科」ということもある。)において、角膜に放射状に切開を入れて、角膜の変形を矯正することにより近視を改善するという手術方法の一つであるRK手術を受けた者である。(RK手術の内容及びに手術の事実については,特に個別に説示したもののほか、香川との間において争いがない。したがって、弁論の全趣旨によれば、その余の被告らとの間でも、これらの事実を認めることができる。)

1 原告原田(旧姓垣鍔)房代

施行日平成四年四月四日・執刀者香川医師

2 原告泉浩也

施行日平成四年四月二九日・執刀者香川医師

3 原告東克彦

施行日平成四年七月四日・執刀者香川医師

なお、同原告は、その後、平成五年七月三日、名古屋センタークリニックにおいて、末武信広医師の執刀によるRK手術を受けた。

4 原告麻野博嗣

施行日平成四年七月二日・執刀者香川医師

5 原告宇野恵美

施行日平成四年四月一九日・執刀者香川医師

6 原告大知照代

第一回手術

施行日平成四年四月二四日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年九月二六日・執刀者陳徳照医師

7 原告鴨田宗彦

第一回手術

施行日平成三年一二月四日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年三月七日・執刀者香川医師

8 原告岸本和夫

第一回手術

施行日平成四年三月一四日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年六月二七日・執刀者香川医師

9 原告北川善輝

施行日平成四年一月五日・執刀者香川医師

10 原告葛原拓夫

第一回手術

施行日平成四年三月三日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年八月一五日・執刀者陳医師(同原告は、執刀者を香川医師と主張する。しかし、《証拠略》によれば、それは、陳医師であると認められる。)

11 原告久保文子

施行日平成四年四月一〇日・執刀者香川医師

12 原告小西文子

第一回手術

施行日平成三年一二月一九日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年三月二〇日・執刀者香川医師

13 原告酒井勝義

施行日平成四年六月二八日・執刀者香川医師

14 原告沢田悟

第一回手術

施行日平成三年一〇月一〇日・執刀者香川医師

(手術日については、《証拠略》により認定した。)

第二回手術

施行日平成四年四月二七日・執刀者香川医師

15 原告柴田規之

施行日平成四年七月一〇日・執刀者香川医師

(手術日については、《証拠略》により認定した。)

なお、同原告は、その後、平成五年七月九日、名古屋センタークリニックにおいて、末武信広医師の執刀によるRK手術を受けた。

16 原告田中弘子

第一回手術

施行日平成四年二月八日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年六月一七日・執刀者香川医師

17 原告鶴田潔美

施行日平成三年一〇月三一日・執刀者香川医師

18 原告中西亮子

施行日平成四年七月八日・執刀者香川医師

19 原告中満昭広

施行日平成四年一月一三日・執刀者香川医師(香川の供述には、執刀者を陳医師とする部分がある。しかし、《証拠略》によれば、それは、香川医師であると認められる。)

20 原告服部(旧姓岩田)典子

施行日平成四年四月二四日・執刀者香川医師

21 原告浜宏仁

施行日平成三年一一月二九日・執刀者香川医師

22 原告古川丈悦

第一回手術

施行日平成三年八月一七日・執刀者香川医師

(手術日については、《証拠略》により認定した。)

第二回手術

施行日平成三年八月二四日・執刀者香川医師

第三回手術

施行日平成四年二月二三日・執刀者香川医師

第四回手術

施行日平成四年六月五日・執刀者香川医師

(同原告は、同月六日と主張する。しかし、《証拠略》によれば、それは、同月五日であると認められる。)

23 原告松田春夫

第一回手術

施行日平成四年一月三一日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年四月二五日・執刀者香川医師

(各手術日については、《証拠略》により認定した。)

24 原告光井学

第一回手術

施行日平成三年九月一五日・執刀者李

(同原告は、執刀者を香川医師と主張する。しかし、《証拠略》によれば、それは、李医師であると認められる。)

第二回手術

施行日平成四年四月一〇日・執刀者香川医師

25 原告宮川晃

施行日平成四年五月二二日・執刀者香川医師

26 原告村山竜一

施行日平成四年九月一三日・執刀者小神医師

27 原告森田浩則

第一回手術

施行日平成三年九月二八日・執刀者李医師

第二回手術

施行日平成四年五月一四日・執刀者香川医師

第三回手術

施行日平成四年六月二六日・執刀者香川医師

28 原告柳井豊

施行日平成四年五月二日・執刀者香川医師

29 原告家根谷文美子

施行日平成四年六月一五日・執刀者香川医師

30 原告山口顕寿

施行日平成四年五月三〇日・執刀者香川医師

31 原告渡辺資子

第一回手術

施行日平成三年九月五日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成三年一二月一三日・執刀者香川医師

32 原告家原満

施行日平成四年八月一五日・執刀者陳医師(同原告は、執刀者を香川医師と主張する。しかし、《証拠略》によれば、それは、陳医師であると認められる。)

33 原告稲毛チヱ子

施行日平成三年一一月一五日・執刀者香川医師

34 原告上田佳孝

第一回手術

施行日平成四年四月一二日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年八月二九日・執刀者陳医師

なお、同原告は、その後、平成五年二月一三日、上野院において、陳医師の執刀によるRK手術を受けた。

35 原告川添誠

施行日平成四年六月二六日・執刀者香川医師

36 原告木村佳弘

施行日平成四年二月七日・執刀者香川医師

37 原告住田昌彦

施行日平成四年二月二日・執刀者香川医師

(手術日については、《証拠略》により認定した。)

38 原告冨田雅弘

施行日平成四年四月二九日・執刀者香川医師

39 原告畠山研人

施行日平成四年六月二一日・執刀者香川医師

40 原告松井千世

施行日平成四年九月一一日・執刀者小神医師(同原告は、執刀者を香川医師と主張する。しかし、《証拠略》によれば、それは、小神医師であると認められる。)

41 原告宮野寿子

施行日平成四年六月一三日・執刀者香川医師

42 原告高橋信雄

第一回手術

施行日平成三年九月二七日・執刀者香川医師

第二回手術

施行日平成四年三月二七日・執刀者香川医師

43 原告田中俊一

施行日平成四年七月二七日・執刀者香川医師

44 原告橋本淳

施行日平成四年四月五日・執刀者香川医師

45 原告藤原節夫

施行日平成四年七月六日・執刀者陳医師

46 原告高橋進

施行日平成四年六月一三日・執刀者香川医師

47 原告田中剛和

施行日平成四年四月二〇日・執刀者香川医師

三 被告ら

1 被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井被告

被告エイエム三井ないし被告アートメーキング三井は、故中嶋直喜が代表取締役として経営していた。

2 被告越山

被告越山は、被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井の取締役であった。そして、香川眼科の経営を担当していた。

3 被告エフエムエス

被告エフエムエスは、平成四年一〇月ころ被告エイエム三井や被告アートメーキング三井が解散したのに前後して設立された法人である。

第二  争点

一 請求原因

1 RK手術

RK手術については、日本眼科学会等において、眼鏡と同様に視力の微妙な矯正がRK手術によって可能かどうか、また仮に視力の微妙な矯正が可能だとしても、角膜の切開による矯正術には永久的効果がなく一時的な効果に止まる等の限界があるし、角膜の切開による矯正にはスターバーストやグレア、視力の大きな変動など種々の後遺症を伴う危険性があり一時的な視力矯正の方法として角膜に切開をする方法が適切な方法であるか否か等、種々の疑問が指摘されており、我が国においては確立された治療法とはいえない。

2 被告らの行為

被告らは、共同して平成二年春ころから、RK手術専門医院を開設し、「近視・乱視がなおる驚異の手術」とか「アメリカで三〇万人の人たちが、ソ連では一二万人の人達が視力をとりもどし、その有効性と安全性を確認された」とか「最高の矯正法」などとして、被告らの眼科診療所で行うRK手術が安全性の確立した有効な近視矯正法であるかのように積極的に宣伝し、多数の患者に対してRK手術を実施した上、しかも自由診療として一眼三五万円(両眼で七〇万円)という高額の手術代金を収益していた。

その上で、被告らは、原告らの多くに遠視や乱視、左右の著しい視力差、スターバースト、グレアなどの合併症や後遺症が顕著に現れているとおり、原告らに対し、本来切開してはならないとされる眼球中央部のオプティカルゾーンにはみ出したり、切開溝が深すぎたり、一部には角膜を完全に穿孔する切開をするなど、杜撰で、医学的水準を遵守したものとはいえないRK手術を実施した。

各原告等についての手術内容は、別冊原告主張目録記載一のとおりである。

3 全体としての不法行為

このような広告内容やRK手術への勧誘方法、手術内容、料金体系などを総合的に評価すれば、原告らに対し施行されたRK手術は、高額の手術代金の収益を企図した危険性の高い医療行為であって、全体として不法行為を構成する。

4 債務不履行ないし不法行為

仮に、右全体としての不法行為が成立しないとしても、債務不履行ないし不法行為が成立する。

(一) 事前告知義務違反

被告らの下で勤務していた香川医師らその他の職員は、RK手術前に原告らに対し、「海外でも多数手術されていますが、失敗は一例もない」とか「手術が終われば、壁の時計の針がハッキリと見えるようになる」とか「遠視になる心配はまったくない」とか説明し、あたかもRK手術によって眼鏡と同程度の微妙な視力調整が可能であり、かつ絶対的に安全な視力矯正術であり、過矯正の結果、遠視になる危険性も皆無であるとしていた。しかし、この説明は、RK手術によって極度の遠視状態になった原告らの被害例を見るだけでも虚偽であることは明白である。また、虚偽でないとしても、原告らがRK手術を受けるか否かを決定するために必要とすべき事実の告知としても極めて不十分である。しかも、被告らは、原告に対し「今、手術をしなければ、何時手術ができるかわからない」などといって、あたかも手術予定が一杯で、この機会を逃せば相当期間にわたり手術が不可能となるようなことを告知して、原告らの冷静な判断力を混乱させたが、このような勧誘行為は事前告知義務の懈怠というべきものであり、あたかも詐欺商法の勧誘(クロージング)と同じく違法な勧誘行為である。

(二) 適正手術義務懈怠

また、被告らの下で勤務していた香川医師らは、適正に手術を行うべき義務を次のように懈怠して、杜撰な角膜切開手術を実施した。

(1) RK手術の不適用者である若年者や高齢者の患者、眼底出血により矯正不能である患者、眼圧五〇水銀柱ミリメートル以上の患者、その他RK手術の不適用者に対しても、RK手術を行った。

(2) 術前の視力の状態に応じて、適切な切開の位置(視軸と切開の角度や視軸と左右ないし上下の切開との距離関係)、切開の本数、切開の長さ、左右の軸に対する切開の異同などを十分に検討せず、一律に切開を行った。

(3) オプティカルゾーン内に切開を行った。

(4) 執刀に先立ち角膜上にマーキングをして切開の位置を明示すべきであるのに、マーキングを全く行わないか、適切に行わないまま、切開を行った。

(5) 角膜に穿孔を生じさせないように切開すべきであるのに、角膜穿孔を生じさせた。

(6) 切開創が角膜に対し直角になるように、かつ、切開創の表面が滑らかになるように切開すべきであるのに、ずさんに切開した。

(7) 角膜穿孔について速やかに穿孔部の縫合その他の術後管理をすべきでるのに、これを懈怠した。

(8) 原告ら各自についての手術経過は、別冊原告主張目録記載一のとおりである。

5 被告らの責任

(一) 被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井

被告エイエム三井ないし被告アートメーキング三井は、中嶋直喜と実質的一体として、岩井眼科や香川眼科を経営し、右両眼科において、香川医師らにRK手術を行わせた。

すなわち、中嶋直喜は、被告エイエム三井を中心とした営業活動を行いながら、被告アートメーキング三井、被告エイエム三井など設立した二十数社以上の関係会社の収入帰属、経費負担などの経理処理を、各会社毎に分別して処理していたわけではなく、正確な税務申告もしていない。しかも中嶋直喜は、これら法人の経営を分離し、格別に税務申告することによって全体として課される税金を節税するなどの対策を全く実施していなかったのであり、結局のところ、営業収入の帰属や資産の所在を不明瞭にさせるための不正な手段として、多数の法人格を形骸化させ、濫用していたものである。したがって、中嶋直喜と被告エイエム三井、被告アートメーキング三井は、法人格の別を理由に責任を免れ得ない。

(二) 被告越山

被告越山は被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井の取締役として、香川眼科の経営を担当し、RK手術による高額の手術代金の収得を企図し、危険性の高い医療行為を行ったから、賠償責任がある。

(三) 被告エフエムエス

被告エフエムエスは、平成四年一〇月ころ被告エイエム三井や被告アートメーキング三井が解散したのに前後して設立された法人であって、中嶋直喜の資産や被告エイエム三井や被告アートメーキング三井の資産等を引き継ぐとともに、被告エイエム三井や被告アートメーキング三井等が行っていたRK手術専門眼科診療所や美容外科診療所、エステティックサロン等の経営等を承継している法人であるが、その一つとして、香川眼科の治療行為を承継していた伊藤クリニックを経営していた。

藤田博は、被告アートメーキング三井や被告エイエム三井に多額の負債があったとか、美容外科部門に負債があったとかいうが、不自然であり、藤田は、中嶋直喜の個人資産と被告エイエム三井他多数の関係会社名義の資産を混同した上、その大半を隠匿し、被告エフエムエスに美容外科部門を承継させたものである。

6 損害

原告らには、本件RK手術の結果、矯正視力の低下、左右の不同視、不正乱視、夜間視力の低下、コントラスト感度の低下、グレア、スターバースト等の合併症が発生したが、これらは、角膜に人工的に切開を入れたために生じた結果であり、これらを修復する方法はほとんどなく、今後終生にわたり残存する視力障害及び調整機能障害の後遺障害である。

原告ら各自の損害は、別冊原告主張目録記載二のとおりである。

二 請求原因に対する反論

1 被告エイエム三井、被告アートメーキング三井及び被告エフエムエスの主張

(一) 被告アートメーキング三井は、昭和六一年に設立された中嶋直喜を代表者とする株式会社で、直営店及びフランチャイズ店でエステティックサロンを経営し、フランチャイズ店に対しエステの機器・材料を供給していたほか、美容品・化粧品の販売を行っていたが、平成二年、全く無関係の第三者がアートメイクで逮捕され、苦情が全て社名にアートメーキングと入れている被告アートメーキング三井に寄せられるようになったため、中嶋直喜は、同年七月九日、被告エイエム三井を設立し、同社で被告アートメーキング三井の行っていた営業をそのまま引き継いで営業することとした(なお、被告エイエム三井が事業を引き継いだ後も、被告アートメーキング三井については、何らの措置も取らずに放置し、事実上休眠させていた)。その一方、中嶋直喜は、エステティックに関連するものとして、美容外科も行うこととし、個人で医師と契約を結んで、医師にその名義で美容外科を開設させた。

また、中嶋直喜は、生前、事実上、岩井医師、末武医師、李医師らを使ってRK手術を行う眼科を経営し始めた。香川医師は、平成三年終わりころ、岩井眼科の陳医師とアールケー技術修得者雇用契約を結び、その後香川眼科でRK手術を行うようになった。香川眼科では、香川医師が開設者としてRK手術を行い、被告越山の指示のもと、榎本がカウンセラーや店長と称して手術以外の面を担当していた。その後、中嶋直喜は、RK手術を行う眼科について、被告アールケー大阪など有限会社アールケー各社を設立し、香川眼科で働いていた従業員は、同有限会社で雇用し、税金や雇用保険の手続も同社で行い、香川眼科を閉鎖するときの従業員の雇用保険の処理も同社で行った。

香川眼科の収入や支出(被告越山、榎本、香川医師の報酬、従業員の給与・税金等各種支払)という経理面は、全て香川眼科という現場で処理され、患者からの入金は、香川眼科中嶋直喜、岩井眼科中嶋直喜又は中嶋直喜名義の口座に振り込まれ、全て中嶋直喜が管理していた。ただし、分割払やクレジット・カードを利用したいという患者については、中嶋直喜個人や香川眼科名義ではできなかったため、被告エイエム三井のファイナンス部門で回収を代行し、香川眼科分は、入金後全額を被告アールケー大阪ないし中嶋直喜に渡した。また、香川眼科のビルの賃借が、被告アートメーキング三井又は被告エイエム三井の名義でなされていたのは、中嶋直喜や医師個人名では借りられず、法人名義にするために名義を利用しただけで、敷金・礼金・賃料等は、香川眼科ないし中嶋直喜が支払っていた。

(二) 藤田は、中嶋直喜個人及び同人が経営していた被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井の顧問税理士・監査役であった。そして、藤田は、中嶋直喜の自殺後、有限会社ケイセイ各社の行っていた美容外科の営業をどうするかについて、美容外科を開設していた各医師と協議した結果、美容外科を経営したいとする医師らの希望をかなえるため、藤田が代表者をしている被告エフエムエスが、平成四年一二月、有限会社ケイセイ各社から総額四八〇〇万円で美容外科の設備・器具を買い受け、これを美容外科の経営を希望する医師にリースすることになったという関係があるにすぎない(医師らは、自ら設備・器具を買い取る能力がなかったり、節税上リースを希望した。)。そして、各医師らは、それぞれ独立して美容外科を経営しているもので、被告エフエムエスが中嶋直喜の事業や資産を承継したという関係はない。

2 被告越山の主張

被告越山は、中嶋直喜が営んでいた事業の従業員の一員として、中嶋直喜からRK手術が近視治療のために、医学的にも適合し有効なものであるとの説明を受けて、被告越山自身がRK手術を受けた上で、香川眼科におけるRK手術について、医院開設準備及び患者の勧誘のための広告宣伝の業務に関与したことがあるにすぎない。来院した患者に対するRK手術の適否の判断は、専ら専門医師である香川医師に委ねられ、被告越山は、その適否を判断したり、手術の施行を管理する立場にはなかった。

被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井は、中嶋直喜が設立し、代表者をしていた会社であり、中嶋の事業の一部を担うものとして形式的に当事者となっていたに過ぎず、これらの会社は、収入の帰属、経費の負担などの経理処理を会社ごとに独立して分別して処理していたわけではなく、正確な税務申告もしておらず、香川眼科の経営に基づく損益は、究極的には、中嶋直喜に帰属した。

第三章  争点に対する判断

第一  請求原因について

一 RK手術について

《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。

1 RKの概要

RKとは、Radial Keratotomyの略語で、放射状角膜切開術を意味し、角膜に外科的手法を加えて屈折異常を矯正しようとする方法の一つである。この方法は、角膜を放射状に切開して角膜の周囲を環状に走るコラーゲン繊維を切断することにより、角膜中央部を扁平化し角膜屈折率を弱くし、ひいては近視度を軽減させるものである。

しかし、まだ効果の原理は完全には解明されていない。刃は以前は金属が用いられていたが、一九八一年ころからはダイヤモンドやサファイアが主流となっている。術式は術者により、また矯正すべき近視の強さにより異なる。手術量の調節は、<1>オプティカルゾーンのサイズ、<2>切開線の深さ、<3>切開線の本数などで行われるが、その他に<1>性、<2>年齢、<3>眼圧、<4>角膜径、<5>角膜厚などにより術後の屈折効果が異なるため、それぞれの数値を挿入すれば、用いる術式の条件が出てくる計算式が考案されている。しかしながら、効果的に影響を与える因子が種々あるため、完璧な計算式はまだ存在しない。

RKという用語は、乱視の主経線に沿って角膜の両側、他の切開線の間に加える切開で、乱視矯正に効果があるとされるT切開(transverse incision)を含めた意味で用いられることがあり、これと区別する場合には放射状角膜切開(RK切開)という。

2 RKの沿革

近視矯正手術という概念を最初に提唱したのは、ドイツのSnellenであり、一八六九年に角膜のスティープな方向に切開を加えることで、乱視が矯正できることを示唆する発表を行い、これを最初に臨床で実践したのは、ノルウェーのSchiφtzであり、一八八五年のことであったが、これらの知見は近代に至るまであまり顧みられることはなかったとされる。

順天堂大学教授佐藤勉は、昭和二八年、ウサギ眼を用いて近視、乱視矯正を目的とした実験を繰り返した結果として、角膜後面への放射状切開は、前面への切開よりも大きな近視矯正効果をもたらすことを見いだし、前房側から後面切開を加えた後、その効果を補うために前面切開も施行する角膜前後面放射状切開術を開発し、その臨床成績を発表した。ところが、佐藤の死後、昭和四〇年に井上が、佐藤式手術の合併症として水泡性角膜症を報告し、それを契機として、日本の眼科医は、屈折矯正手術に対して非常に慎重な態度をとるようになった。一九六九年から七七年にかけて、旧ソ連のエナーリエフ(Yenaleyev)は佐藤式手術を改良する形で、角膜前面に四ないし二四本の放射状切開を施行した。一九七〇年代初頭より、旧ソ連のフィヨドロフ(Fyodorov)は、ドルネフ(Durnev)とともにウサギ眼を用いた実験を行い、オプティカルゾーンを三ないし五ミリメートルと小さく、金属製ナイフを角膜厚の約九〇パーセントと深く設定することで、角膜前面からの放射状切開のみでも十分フラット化が得られることを確認し、一九七四年から臨床応用を開始した。切開は輪部から角膜中央部に向かうもので、一般的にロシア式と称される。フィヨドロフは、一九七九年その成績を発表するとともに、手術成績に影響を及ぼす因子として、オプティカルゾーンの大きさ、角膜径、角膜組織の硬度などを挙げ、それらの因子から術後の屈折変化を予測する関係式を示した。

その後、フィヨドロフの術式自体、徐々に改良が加えられ、切開も浅い切開から深い切開(角膜の厚みの一〇分の九までの切開)に変わり、角膜輪部を超えていた切開も角膜輪部透明部までになり、また近視の強さにより切開線の長さを調節し、切開線の本数も一六本から八本になっている。

3 RKの効果及び問題点

(一) ルイジアナ州立大学眼科学教室教授山口達夫らは、昭和五八年、「眼科」に掲載した論文の中で、次のような見解を示した。

本術式の合併症としては、<1>手術時合併症としてのbladeによる角膜穿孔、<2>glare、<3>手術効果の減弱、<4>日内変動、<5>角膜内皮細胞への影響があげられる。また、近視手術は、眼鏡やコンタクトレンズなどの矯正方法に比較し、<1>手術自体の効果が限られ、手術による屈折度の定量化が難しい、<2>成長期に手術を行うと、近視の進行によってその効果は打ち消される、<3>経年的な角膜曲率半径の変化や手術によって乱視の発生、<4>老視に入ってからの屈折度数の減弱化、<5>長期術後の内皮細胞への影響、<6>患者が満足するような屈折度数に変えることができるか否かなどといった種々の問題点を含んでいる。Mathaloneは最近本手術の適応として、近視の軽度の減弱化と初期円錐角膜をあげている。しかし切開の深さによって、その屈折度数が変わるため、両眼を同じように正確に変えることは困難である。強いてRadial Keratotomyの適応を考えるならば、近視の不同視眼に対してバランスを取るために、片眼の屈折度の減弱化を計るのにはよいかもしれない。しかし、このような屈折の矯正手段が悲観血的な方法から観血的な方法に変わるようなことがあれば、わが国のように人口の四〇パーセントが近視人口であることを考えると重大な社会問題に発展する危険性をひそめている。手術的な方法は、初め厳しい適応範囲があげられているが、時間の経過とともにその範囲が拡大される傾向がある。絶えず手術者は正常な眼球を手術していることを忘れてはならない。

一九八一年九月から、ジョージア州エモリー大学のGeorge Waringが座長となって、米国保健省の後援により、RKの効果、安全性などを評価する臨床実験(Prospective Bvaluation of Radial Keratotomy study:PERK study)が開始された。PERK studyとは、全米九か所の大学及び研究機関で、同一の器具を用い、同一の基準で患者を選び、同一の術式で一施設六〇人ずつの手術を行って、臨床的な結果を出そうとするものである。五年後にPERK studyが結論を出すころに、実際に臨床家によって行われている術式が、現在のものとかなり異なっている可能性もある。

(ルイジアナ州立大学眼科学教室教授山口達夫ら「屈折矯正のための角膜手術」眼科二五巻一一〇九頁、昭和五八年)

(二) 東京医科歯科大学の所敬は、昭和六〇年、「日本の眼科」に掲載した論文の中で、次のような見解を示した。

佐藤氏法と違い、フィヨロドフの方法は、角膜上皮側からの切開のみであり、角膜内皮細胞への直接損傷はない。しかし、猿を用いた三か月の実験によると上皮側からの切開のみでも内皮細胞の数の減少がみられたという報告がある。また、人眼で角膜内皮細胞をスペキュラーマイクロスコープで観察すると、一〇パーセント程度の細胞喪失がみられたという報告がある。この原因としては、手術を受けた角膜は中央部が平面に近い形状となるため、瞬目などの際に角膜内皮細胞に異常な緊張がかかり、これが持続的な内皮細胞の喪失につながると考えられている。いずれにしても、このような基礎的研究結果が出ている以上、長期の経過観察が必要である。そこで、米国でも、この方面の研究も行われている。わが国では角膜両面切開術の苦い経験があるため、放射状角膜切開術は特殊な機関を除いて行われていない。この手術はある程度の定量化は可能であるが、術後必ずしも正視になるわけではない。しかも術後残った屈折異常に対しては、角膜形状の変形のために、コンタクトレンズによる矯正が難しい場合もある。また術後、夜間のグレア、視力の変動など種々の自覚症状の残る例もあること、上述の長期の余後の不明なことより、さらにデータが得られ安全性が確かめられるまでは避けたい手術である。(東京医科歯科大学所敬「近視に対する放射状角膜切開の現状と功罪」日本の眼科五六巻一一号一〇一九頁、なお、日本の眼科五八巻は昭和六二年、日本の眼科六三巻は平成三年に刊行されていることから、日本の眼科五六巻は、昭和六〇年に刊行されたものと推認される。)

(三) 北里大学医学部眼科講師鈴木高遠は、平成元年四月、Donald R.Sandersが編者となって米国で一九八六年出版した本(原題RADIAL KERATOTOMY―SURGICAL TECHNIQUES)の日本語版(「角膜切開による屈折矯正」)を刊行した。

(1) 講師鈴木は、その訳者序文の中で、この手術に対する日陰者扱いを早く解消し、その有効性と限界に関する議論が活発に行われるためにも本書の翻訳が役立つことを期待するが、実際に自分で角膜切開術を行おうとする眼科医は、本書だけでなく、SLACKから刊行された成書Refractive Corncal Surgeryや最近のJournal of Cataract and Refractive Surgeryあたりを十分参照されるほか、念のために各章末に掲げられた参考文献に当たる方が賢明と思うと記述している。そして、各章末の参考文献には、George WaringのPERK studyの手術一年後の結果(Waring Go,Lynn MJ,Gelender H,et al:Results of the Prospective Evaluation of Radial Keratotomy(PERK)study one year after radial keratotomy,Ophthalmology 1985;92:177-196)が含まれている。

(2) Spencer P.Thortonは、同書で、既に一九八一年に自らが報告していた非交叉性T切開による乱視治療について、更に紹介を行い、その中で次のように記述した。

多くの術者が提唱する角膜切開による乱視治療法の全てに何らかの治療効果があることは否定しないが、その中のいくつかは手術効果の定量性(predictability)に関して若干の問題があるのも事実である。更に、切開が交叉することによる数々の合併症の経験から、むしろほかの切開線との交叉を避けてT切開を置く方が、安全性からも手術効果を定量的に予見する上からも優れているようである。術後のグレアによる問題や切開を置かない弱主経線方向の角膜曲率増加の問題、あるいは過矯正により術後かえって増加してしまう遠視の問題などから、切開線の間隔(オプティカルゾーン直径)は、五.〇ないし八.〇ミリメートルの値が採用されることが多いようである。

(3) Robert F.hofmannらは、同書で、ソーントンの手術ガイドによる四本、六本、八本、一六本の放射状角膜の際の最適オプティカルゾーンのガイドラインを示したが、同ガイドラインは、近視度数一.五D(ジオプトリー)以上を対象とするもので、オプティカルゾーン直径を最小三.〇ミリメートルとしている。なお、この手術ガイドラインは、代表的なものと位置づけられている。

(4) James J.Salzは、同書で、米国眼科学会倫理委員会長ジェローム・ベットマン博士が、手術承諾書作成の重要性について講演する中で、手術の危険性や予測される事態の詳細について実際に患者と話し合い、医師自身の手で話合いがなされたことをカルテに記載することの重要性を強調しており、このような記録を残すことは詳細な術後合併症のリストを渡したり、ビデオを使って説明するよりもよほど価値があり、特にビデオによる説明は、医師と患者が直に話し合うことの代用にすべきではないと述べていることを紹介した上で、失明の危険性も含め、起こりうる術後合併症について詳しく説明し、トライアルレンズや調節麻痺剤を使って老眼になるということがどういうことなのかを、患者に体験させるようにしていると記述した。

(5) Albert C.Neumanらは、同書で、コンタクトレンズを装用している患者の場合は三週間程度装用をやめて屈折率やケラト値が落ち着いてから、以前の計測値と比較して角膜歪曲の有無を確認すること、手術以外にも治療手段があることや、手術の合併症や後遺症の危険性などとともに、この手術が本質的に未だ研究途上であることなどを、全ての患者に十分に説明し、それら問題点につき具体的かつ詳細に記述した手術承諾書を見せて、患者に署名してもらうが、一九八〇年からは、更にビデオテープを使って同趣旨の説明を行い患者の理解を助け、患者にはこれらの説明の後、説明の要点につき簡単なテストを受けさせて、不合格の場合には再度説明を行った後に再試験を受けさせることにしていると記述した。

(Donald R.Sanders編、北里大学医学部眼科講師鈴木高遠訳「角膜切開による屈折矯正」平成元年四月二四日初版第一刷発行)

(四) George O.Waringは、一九九二年、「放射状及びT状角膜切開術の合併症状」の中で、次のように記述した。

(1) 進行性の白内障や調整不能の緑内障のように失明に至る病気を治療するために目の手術が行われた場合には、手術をしなければ患者は失明したであろうから小さな危険を冒すだけの価値はあるというふうに、合併症の偶発に関してもその危険性と恩典の比率という視点で考慮することができるが、近視の場合には、(眼鏡等を用いて)視覚を矯正することが可能であり、手術的矯正法は選択できる矯正法の一つにすぎないから、失明する危険のある疾病に対する手術的治療法と比べて、手術的矯正法の安全性の基準は、結果の予想を含め、より高くなければならず、その結果、医師は発生する可能性のある全ての合併症を未然に防止するため特別な注意を払わなければならない。

(2) 一〇年間に行われた状況は一〇万人を超える患者に放射状角膜切開術がなされ、<1>手術前の過失に起因する合併症、<2>手術上の合併症(角膜穿孔(小穿孔・大穿孔)、中心からずれたオプティカルゾーン、視軸を交差した切開、切開本数の不正確、不正確な方位の切開、角膜縁を交差した切開)、<3>手術早期に現れる症状(痛み、羞明感、上皮細胞の損傷、視力変動と角膜の水腫)、<4>矯正視力の減退、<5>屈折上の合併症(過矯正、矯正不足、乱視、早発の老視)、<6>視力上の問題点(視力の変動、グレア、コントラスト感度の変化、色調、夜間視力の低下、単眼複視)といった広範囲にわたる合併症が発生していることを示している。

(3) 不正確な屈折度数の測定

不正確な屈折度数の測定は手術の結果に悪影響を確実に与える。屈折度数の安定は、従前の視力について平準化された過去の測定記録と参照したり、以前の眼鏡の影響がなくなったことが確認されるべきである。コンタクトレンズの装着を二週間から六か月中断することによって角膜の形態は安定しやすくなるだろう。

(4) 角膜穿孔

角膜切開術におけるデスメ膜の小さな穿孔の発生率は、より正確なて角膜の厚度測定法と手術用メスの改良により、減少している。二.三パーセントという角膜穿孔の低い発生率は、一秒間に一六四〇メートルという音速の速さで、測定する術中超音波圧度測定法により測定され、完全に最も薄い中央部角膜厚表示の所にダイアモンドメスの刃を合わせること、最初にメスを入れた後は切開を深くしないことによって、達成された。

なお、いくつかの切開は、相当深いためにデスメ膜のみを切らずに残すことになる。そのような場合、穿孔を示す滴が実際に発生することはなく、傷口からの水様液のわずかな漏出を見ることは不可能であろう。

(5) (文献では、)中心からずれたオプティカルゾーン

文献では、オプティカルゾーンが角膜の中心からしばしばずれるということは報告されていない。オプティカルゾーンが小さくなればなるほどグレアの増加と不正乱視を伴って光の分散が増加する。医師は、オプティカル・ゾーンの中心を明確にするため少なくとも二か所以上のオプティカルマークを付け、オプティカルゾーンに印を付けた後、その位置と中心とが同じはずである瞳孔の縁とを比較することによって中心点のずれを防止することができる。

(6) 曲線状の切開

理想的な放射状切開は真っ直ぐなものであるが、特に非常に薄い両刃のメスや慣れないメスが使用された場合、曲がった、S字型の、あるいは凸凹した切開になることがある。術中に患者が体動し、中断して後に完了された切開は別の原因となる要素である。曲線状の切開が総体的な屈折上の結果において、真っ直ぐな切開と異なる効果を有するということを示す公表された証拠はない。

(7) 手術後早期に現れる合併症

角膜切開術の術後最初の二、三日に通常現れる症状としては、痛み、光に対する感受性、視力の変動が挙げられるが、これらの症状はいずれも術後数日から数週間で徐々に減少する。

(8) 羞明とグレアは術後数週間良く発生する。これは恐らく上皮の切開と擦過傷、軽度の間質の水腫、炎症、わずかな虹彩毛様体炎に起因するものである。

(9) 最良矯正視力の減退

PERKの研究によれば、眼体の三パーセントが四年間で二又は三段階の矯正視力を失った(原著注230Waring Go,Lynn MJ,Culbertson W,etal:Three year results of the Prospective Evaluation of Radial Keratotomy(PERK)study,Ophthalmology1987;94:1339-1354)。視力低下の原因は、主に三つに分類される。つまり角膜切開術の方法による角膜の合併症(視軸を交叉する切開など)、角膜切開術自体は原因ではない角膜以外の合併症(レンズの破損など)、そして角膜切開術の手法以外の症状(術後麻酔による視神経の損傷など)である。矯正視力の低下の最も一般的な原因は恐らく不正乱視であり、通常、再手術の後に起きる。

(10) 過矯正及び矯正不足

近視矯正の失敗により遠視となることは、屈曲矯正のための角膜切開術の最も深刻な合併症の一つである。近視の患者は、過矯正(遠視)されるよりも矯正不足のままでいる方が順応しやすいようである。

矯正不足は、患者は近視であることになれていることや、近視を減少させるために再手術できること、手術前に使用していたのと同様に眼鏡やコンタクトレンズの使用を選択できることなどを理由として、通常、過矯正よりも容認することができる。

(11) 誘発性の乱視

PERKの研究によれば、近視の屈折度数が一.〇〇Dよりも上の患者に対する放射状角膜切開術において術後四年間で、三六パーセントの眼体に〇.五〇Dから二.七五Dの乱視の増加が見られ(原著注230Waring Go,Lynn MJ,Culbertson W,etal:Three year results of the Prospective Evaluation of Radial Keratotomy(PERK)study,Ophthalmology1987;94;1339-1354)、再手術した五九の眼体において誘発性の乱視の増加が見られ、その一九パーセントは〇.五〇D以上の乱視であった(原著注38Chiba K,Oak SS,Tsubota K,etal:Morphometric analysis of corneal endothelium Following radical Keratotomy,Am J Ophthalmol Soc 1982;62:213-221)。

(12) 不正乱視

不正乱視は、二つの主要な視軸が互いに直角でない場合か、あるいは中央から周辺の角膜の弯曲における不規則な変化が、正常な非球面の角膜で見られる通常の変化を上回る場合に現れる。屈曲矯正のための角膜切開術後の全ての角膜にいくつかの不正乱視が見られるが、それはケラトグラフ上で発見することができる。

不正乱視は、恐らく角膜上皮の星状の線状痕(iron line)を引き起こす。幸いにも、このごく僅かな不正乱視は、昼光の状況下では視覚機能にほとんど影響を及ぼさないようであるが、それは恐らく視覚上の重要な角膜の中央の外側にあるからである。瞳孔が広がるとより多くのグレアとゆがみが結果として生じるが、通常スターバースト現象として報告されているものである。機能的に重度の不正乱視は再手術を受けた眼かあるいは創作的角膜切開術、つまり放射状切開とT切開が交叉(TR切開)したり、放射状と周辺の切開が組み合わさったり、またLine of sightの極く近くまで伸びる切開などからなる切開術を受けた眼に最も一般的に発生する。そのような不正乱視は視機能をかなり減少させることがあり、眼鏡矯正視力を低下させるだけではなく、グレアと羞眩感をも発生させる。

(13) 早発の老眼

屈折矯正のための角膜切開術後にごく僅かな屈折上の過誤を伴った患者は、年齢が増すにつれて視力調節予備力が低下するために、矯正できず、すぐ近くで物を見る能力を失うことになる。近視矯正のための放射状角膜切開術に興味を持つ老眼年齢層の患者に対しては、もしも彼らが手術後に遠視に矯正された場合には読書用眼鏡に依存しなければならなくなることについて慎重に忠告を与えられる必要がある。

(14) グレア

眼の中にある混濁あるいは凹凸から散らされる光は網膜像のコントラストを低下させることがあるが、これは膜状眩輝といわれる現象で、屈曲矯正のための角膜切開術に続いて起きるグレアの種類である。

術後にグレアを増加させる要因には、より小さい直径のオプティカルゾーンの設定、より幅の広い瘢痕、切開本数の増加、不正乱視の増加がある。これらの要素は屈折矯正のための角膜切開術において、視軸の中心点の設定と同様に瞳孔の中心点を設定することの重要性を強調するものである。オプティカルゾーンの中に不注意にそれた切開はグレアを増加させるだろう。瘢痕の混濁の程度とグレアの関係を互いに関係付けた公表データはない。特に瞳孔が五ミリメートルより大きい場合、瞳孔直径が大きくなる程より多くのグレアを予想することができる。このように屈曲矯正のための角膜切開術後のほとんどの患者は、通常の光の状況下よりも夜やほの暗い明かりの下でグレアが多いと報告している。

最も一般的に報告されるグレアの被障害の種類は、スターバースト型、フレア(発赤拡大)、あるいはhalo effect(暈・かさ効果)がある。一般に患者はこの視覚現象を認めており、それは日常生活を混乱させるものではないという。実際、多くの人がそれは手術前のコンタクトレンズや汚れた眼鏡で気づいていた型と違わないといっている。定義の上で障害としてのグレアは視機能と日常生活を混乱させる光の拡散のことである。屈折矯正のための角膜切開術の後、これは最も一般的には夜間に起きるものである。なかには危険すぎると考えたために夜間の自動車の運転を自発的にやめた患者もいる。この障害の評価は、主観的に時々されるものもあるが、より慎重な臨床的研究が必要である。

(15) コントラスト感度の変化

Ginsburgとその同僚達が行った実験結果では、手術した眼における臨床上のコントラスト感度の重大な減少を実証できなかった。統計上は顕著な差であるが、中間の周波数において僅かな差が見られたが、既に公表された正常な母集団の範囲内にあり、高い周波数における僅かな減少が、近視として関連している可能性があったからである。

(近視と乱視に対する放射状角膜切開術「Refractive Keratotomy for myopia and astigmatism」George O  Waring{3}、一九九二年。なお、同書の端書きによれば、これらの合併症の記述は、既に、「放射状及びT状角膜切開術の合併症状」眼科学調査、一九八九年三四.七三ないし一〇六の中で発表したものであるとされている。)

(五) 聖路加国際病院眼科医長山口達夫は、平成五年、「眼科」に掲載した論文の中で、次のように報告した。

一般にRadial Keratotomy(RK)と呼ばれているく角膜前面放射状切開術(anteriorradial keratotomy:ARK)の効果は、用いた術式や経験により異なるため、報告者により効果の数値は異なるが、平均二.五ないし六.〇Dの近視の減弱化が得られている。WaringらはPERK study五年後の結果を報告しているが、四三五症例(マイナス二.〇Dないしマイナス八.〇Dの近視)で〇.五以上の視力を得た症例は八八パーセントで、六四パーセントの症例が術後プラスマイナス一.〇Dの範囲内にあった。全体の一九パーセントは一.〇D以上の近視が残り、一七パーセントが一.〇D以上の遠視となった。手術効果の平均は、三.九八Dプラスマイナス一.六九Dとかなり大きな幅の中にあった(注14Waring Go,et al:Results of the Prospective Evaluation of Radial Keratotomy(PERK)study five years after Surgery.Ophtalmology98:1164-1176,1991)。その他、Arrowsmithらは一二三眼を五年以上経過観察し、七五パーセントが〇.五以上の視力を得ており、五三パーセントが術後、プラスマイナス一.〇Dの範囲内にあり、屈折効果の平均は五.一七Dであったと報告している(注15 Arrowsmith PN,Marks RG:Visual,refractive and keratomeric results of radial keratotomy,Five-year followup.Ophtalmol 107:506-511,1989)。両報告とも同じような結果を報告しており、本術式により四.〇Dないし五.〇Dの効果が得られることがわかる。しかしながら、術後の屈折の範囲にばらつきが多いことが注目される。六.〇D以上の強度近視の症例での効果は、術後の屈折がプラスマイナス一.〇Dの範囲に落ち着いた症例の率は、一八ないし六二パーセントと報告者によってばらつきがある(注16 Shawbitz SD,Damiano RE & Forstot SL:Radial keratotomy in high myopia;An evalution of one technique. Ann Ophthalmol 21:375-378,1989)。ここ数年、乱視の発生や角膜への障害を低く抑えようとする試みのひとつとして、四本切開が注目されてきた。Spigelmanらは、四本切開のみで九一パーセントがプラスマイナス一.〇Dの範囲内に入ったと報告している(注17 Spigelman AV,williams PA & Lindstrom RL:Further studies of four incision radial keratotomy.Refract Corneal Surg 5:292-295,1989)。今後,更に研究されるべき方法であろう。

機能的合併症としては、<1>unpredictability(術後の屈折値が予測困難)、<2>術後長期にわたる遠視化、<3>屈折値の日内変動、<4>乱視の発生、<5>glare(眩輝)、<6>矯正視力の低下、<7>コントラスト感度の低下、<8>羞明、<9>単眼複視、<10>コンタクトレンズ装用の困難さなどがあげられる。

(1) unpredictability(術後の屈折値が予測困難)

術後の屈折値をぴったりとコントロールできないことが、本手術の最大の欠点となっている。手術の結果に影響を与える因子としては、次頁の手術の結果に影響を与える因子表に掲げたようなものがある。Arrowsmithらは、量定を困難にしている因子として、強度近視、再切開、角膜厚の九〇パーセントを超える深い切開、一六本の切開、角膜穿孔、三ミリメートルのオプティカルゾーンをあげている。手術の量定が正確に行えないと、結果として低矯正や過矯正となる。PERK study五年後の結果では、マイナス一.〇D以下の低矯正は全体の二八パーセントに認められ、逆にプラス一.〇以上の過矯正(遠視)は一七パーセントに認められている。Arrowsmithらも術後の屈折がマイナス二.〇Dより大きく、プラス一.〇Dより小さい範囲に入らない症例が三三.三パーセントであったと報告している。このような術式が本当によい術式なのかどうか疑問だとする意見もある。いずれにせよ、predictabilityは向上してきているが、現在でも、まだ十分な精度が得られていない。

(2) Fluctuating vision(屈折日内変動)

一日の中で午前と午後で屈折が変化するために、見え方が変化する現象のことである。原因はまだ完全には究明されていないが、眼圧の日差、角膜厚の日差などにより生じると考えられる。

(3) 乱視の発生

どのような型であれ、角膜に切開を加えれば必ず乱視が発生する。PERK studyでは、全体の一一パーセントに、一.〇ないし二.七五Dの乱視の発生が報告されている(注14 Waring Go,et al:Results of the Prospective Evaluation of Radial Keratotomy(PERK)study five years after Surgery. Ophthalmology 98:1164-1176,1991)。McDnnellらは、ARKと乱視の矯正のためのKeratotomyを同時に受けた症例で、不正乱視が発生し、一一例中二例にハード・コンタクトレンズの装用が不可能になったことを報告している(注35 McDnnel PJ,Caroline P&Salz J:Irregular astigmatism after radial and astigmatic keratotomy.Am J Ophthalmol 107:42-46,1989)。切開線の深さ、位置、長さ、型などの不均一性が乱視の発生に寄与していると考えられる。

(4) glare(眩輝)

ARKの術後、像の周囲に氷が散るようなまぶしさを訴えることがある。特に夜間のドライブで、対向車のヘッドライトが目に入りまぶしいという訴えは多い。glareの出現頻度は、オプティカルゾーンによって異なり、それが小さい例ほどglareは強く、切開本数とは関係がないという報告もある。術後三か月以降は減少するといわれており、術後一年以上経過した例では〇ないし四パーセントに認められている(注37 Rashid ER & Waring Go:Complications of radial and transvorse keratotomy.Surv Ophthamol 34:73-106,1989)。

(5) 矯正視力の低下

ARK術後、十分な矯正視力が出ない現象が報告されている。PERK studyの術後四年の結果では、三パーセントの症例において、視力表で二ないし三段階の矯正視力の低下が報告されている(注38 Waring Go:Results of the Prospective Evaluation of Radial Keratotomy(PERK)study 4years after surgery for myopia.JAMA263:1083-1091,1990)。以前より、角膜上の局所的な乱視による可能性が推測されていたが、近年、局部解剖学(topography)の発達により、このような症例では平板(flat)な光学中心の周辺にいくつかの島状の高く盛り上がった(steep)領域(multifocal lens effect)が、認められることが判明した。矯正視力の低下の原因も、この現象によって説明が可能と思われる。

(6) コントラスト感度の低下

ARK術後、全例でコントラスト感度(contrast sensitivity)が低下する。これは切開後の混濁と術後乱視によるものと考えられている。このcontrast sensitivityの低下は、術後六か月から二年の間にほとんどの症例で回復するが、瞳孔が大きい症例では低下が持続するとの報告がある。

(注40Krasnov MM&Avetisov SE,et al:The effect of redial keratotomy on contrast sensitivity.Am J Ophthalmol 105:651-654,1988、注41Ginsburg AP&Waring Go,et al:contrast sensitivity under photopic conditions in the prospective evaluation of Radial Keratotomy(PERK) study.Refract Corneal Surg 6:82-91,1990)

現在、全米の眼科医の一〇人に一人がARKを行っているといわれるが、一九八八年に報告された米国眼科アカデミー会員のアンケート調査の結果では、会員の二〇パーセントは本手術を安全で有効な術式としては認めていない。

(聖路加国際病院眼科医長山口達夫「角膜前面放射状切開術の現況」眼科三五巻三一五頁、平成五年)

(六) George O Waringは、一九九四年、PERKスタディー一〇年の結果を報告した。

これによると、試験開始一〇年後の時点で八八パーセントの患者をフォローし得たところ、その八五パーセントの症例で裸視力〇.五以上という結果であり、四.三七D以下の近視ではその八六パーセントで裸眼視力〇.五以上であったが、三パーセントの症例で二ないし三段階の矯正視力の低下を認めた。一〇年間の観察で、遠視化を認めた症例が少なくなかったが、特にオプティカルゾーンを三.〇ミリメートルとした症例群で、遠視化との有意な相関性を認めたとされている。(ケリーKアシル、デヴィッドJシャンズリン著、京都府立医科大学眼科教授木下茂監訳、京都府立医科大学眼科伊藤光登志訳「RKとAK-正しい角膜切開術」平成九年五月一五日第一版第一刷発行)

(七) 東京船員保険病院眼科平林多恵らは、平成七年八月、「日本眼科紀要」に掲載した論文の中で次のように報告した。

正常者とRK手術後の患者を比較した場合、昼間視では全周波数域で、コントラスト感度の軽度低下、昼間視周辺グレアで高周波数領域で軽度低下がみられ、夜間視中心グレアでは全周波数領域で高度の低下が認められた。また、オプティカルゾーンの大きさが、二.〇ミリメートル以下とそれより大きいものの二群の比較では、ほとんど有意差を認めなかったが、放射状切開八本未満とそれ以上の二群においては八本以上の群の方が有意な感度の低下がみられ、特に夜間中心グレアではほとんどすべての周波数で有意な低下を認めた。今回、光学領の偏心についてはほとんど検討していないが、オプティカルゾーンの小さいこと(平均二.三ミリメートル)や角膜切開本数の多いこと(平均八.二本)などグレアの原因因子がいくつかそろっていたと推察される。

(「放射状角膜切開術のコントラスト感度及びグレア障害に及ぼす影響」日本眼科紀要一九九五年四六巻八〇七頁)

(八) 東京大学医学部助教授・医師水流忠彦は、本件訴訟において、証人として次のとおり証言した。

(1) 視軸すなわち、眼の角膜の中央部に切開線を入れると、それだけ強い視力障害を起こすので、中央部を避けるというのは眼科医として常識であり、どの程度取るかは議論のあるところであるが、現在は三ミリメートル以下にしないというのが、原則であるとされている。瞳孔径が、通常の明所で二ないし三ミリメートル前後(夜間では五ないし六ミリメートル)であることや、米国でいろいろな報告がされているように三ミリメートル以下では、グレアであるとかコントラスト感度が下がるということが知られていたことによるものである。(なお、丁数の上の〇で囲まれた数字は、口頭弁論期日の回数を意味する、以下同様である)。各種手術ガイドでは設定値を三ミリメートル以上にしている。この数字は、経験科学的な問題であって、理論的な数字ではない。

(2) 切開は上下左右対称にしないと、不正乱視、すなわち、規則的ではなく、不規則的な乱視を誘発しやすいし、五本であると等間隔にするのが難しいので、偶数で行うのが通常である。

(3) 不正乱視は、眼鏡では矯正が非常に難しく、矯正視力が出にくいという問題点があるが、これは、切開線の深さ、切開線の形状が不規則であったり,オプティカルゾーンが狭かったり、中央部からずれていたりすることにより発生する。そして、グレアであるとか、コントラスト感度低下の原因にもなる。

角膜形状解析装置は、同心円状の二五本の光のリングを角膜に投影し、角膜から反射してきた光によって、一つのリングについて各二五六点の部位(角膜全体として約六〇〇〇点の部位)それぞれで角膜の屈折ベクトルを測定する装置であって、その結果は屈折の状態を色で表示したカラーコードマップと、SRIやSAIといった指数によって示される。このうち、SRIは、曲面として滑らかであるかどうかを測る指数であり、SAIは、左右、上下、すなわち瞳孔中心を挟んで一八〇度方向向かいの方向とどの程度の差があるかを測る指数であり、SRI値やSAI値、特にSRI値が悪い(上がる)と矯正視力が低下する傾向があるといわれており、不正乱視を的確に表しやすいのが角膜形状解析装置である。この数値は正常では一未満、通常は〇.五前後であるから、特に一を超えるようなものは異常であると考えてよい。本件において、他に先天的な問題や疾病があって、この角膜形状に異常が出たと考えることは、右解析結果からすると無理であって、RK手術以外に原因はないと考えられる。

近方視力と日常の生活上の支障との関係については、視力が〇.五ないし〇.六程度であれば、可能性があるという程度にすぎないが、〇.四程度になると、近業を主とする仕事については、支障が出る可能性が高く、〇.三あるいは〇.四という程度になると支障が出ると考えて良いといえることになる。

(4) コントラスト感度の低下の機序については、種々の見解があるが、切開線が瞳孔領に及んでいると、当然そこに白い線が入るので、光が乱反射する。これが眼内で起こると、コントラスト感度低下の原因になる。また、切開線が瞳孔領内に及んでいなくとも、不正乱視が発生していると、眼内に入る光が乱反射したり、副屈折を起こして、コントラストに対する感度が低下する。日中瞳孔が小さく影響がない場合でも、夜間で瞳が大きくなれば、切開線が瞳孔内に入ってくるので、相対的に夜間見づらいという現象が起こりうることになる。

(5) グレアとは、眩しくて見づらいという現象を定量的に測ることであり、視界の中に一か所又は数か所、不規則に強い光が入った場合、見づらくなるもので、正常でもなるが、角膜に部分的な濁りがあったり、白内障があったり、角膜の表面に不正があったり傷があったりしても起きる。グレアは、痛みがなく、光量が強い場合に痛みを伴って起こるグレア現象である羞明とは区別されている。

(6) RK手術の成績については、六D以下の比較的軽度の近視に対して、プラスマイナス一Dの範囲に入る確率は、六〇ないし七〇パーセントといわれている。

4 日本の学界におけるRK手術の評価

(一) 平成元年当時、わが国で、RK手術を行っているのは少数の医療機関に限られ、指導的な眼科医の間の否定的な慎重論が国全体を支配して、極く一部の医師が患者の求めに応じて学会での論議を経ることなく治療を行っている実情であった。

(Donald R.Sanders編、北里大学医学部眼科講師鈴木高遠訳「角膜切開による屈折矯正」平成元年四月二四日初版第一刷発行の訳者序文)

(二) 日本眼科学会の屈折矯正手術対応検討委員会は、平成五年五月二八日、「屈折矯正手術の適応について-屈折矯正手術適応検討委員会答申-」として、次のとおりの見解を示した。

屈折矯正は、基本的にはまず眼鏡あるいはコンタクトレンズによって行われるべきである。それらが装用困難な場合にのみ屈折矯正手術が考えられる。その適応は、二〇歳以上で本手術の問題点と合併症とについて、十分に説明を受け納得し、かつ以下の項目のいずれかに該当する者とする。<1>不同視、<2>二Dを超える角膜乱視、<3>三Dを超える屈折度の安定した近視のいずれかに該当する。ただし、屈折矯正量は六D以下とし、術後の屈折度は将来を含めて遠視にならないことを目標とする。なお、両眼に手術を行う場合には、片眼手術後六か月以上経過観察し、その経過が良好なことを確認した上で他眼手術を行うべきである。

本委員会では、本手術の適応例として、眼鏡又はコンタクトレンズの装用困難者であることを前提とした。

屈折矯正手術は眼科専門領域のものであり、術者は日本眼科学会認定の専門医でなければならないし、更に、術者は日本眼科学会推薦の屈折矯正手術に関する講習会を受講することが望ましい。

なお、屈折矯正手術は将来、医師制度の枠内で新しい手術法として位置づけられるべきである。

(三) 日本眼科学会の屈折矯正手術適応検討委員会は、平成七年、屈折矯正手術の適応について、次のとおり答申した。

エキシマレーザー屈折矯正手術は、基本的に眼鏡あるいはコンタクトレンズ装用が困難な場合に行われるべきである。しかもその適応は、<1>二D以上の不同視、<2>二D以上の角膜乱視、<3>三D以上の屈折度の安定した近視のいずれかに該当し、かつ二〇歳以上で本手術の問題点と合併症とについて、十分に説明を受け、納得した者とする。ただし、屈折矯正量は一〇Dを限度とし、術後の屈折度は、将来を含めて遠視にならないことを目標とする。なお、両眼に手術を行う場合には、片眼手術後三か月以上観察し、経過が良好なことを確認した上で、他眼の手術を行う。特に屈折矯正量が六Dを超える場合には更に慎重な経過観察が必要である。

角膜前面放射状切開術その他の屈折矯正手術では、副作用・合併症などを十分に配慮して慎重に対処すべきである。

そして、この答申は、エキシマレーザーによる角膜切除術の問題点として、<1>新しい方法で長期予後は不明である、<2>一度手術を受けたら、元に戻すことができない、<3>実際の近視や乱視の軽減度と予測値との間に差がある、<4>屈折度安定までに一定の期間が必要である、<5>コンタクトレンズ装用が困難になることがある、<6>視機能低下がみられる、a矯正視力低下、bコントラスト感度低下、c眩輝(グレア)発生、<7>老眼になったとき裸眼で近見視が不便になる、<8>術後疼痛、<9>術後も眼鏡やコンタクトレンズによる追加矯正が必要となる場合がある、<10>センタリングのずれにより新たな乱視の発生があることを挙げ、合併症として、<1>感染、<2>反復性角膜びらん、<3>角膜上皮下混濁、<4>角膜内皮障害、<5>乱視発生、<6>眼圧上昇を挙げた上、角膜前面放射状切開術の問題点としては、このほか、外傷に際して眼球破裂が生じやすい、視力が日内変動する、長期観察例で遠視化が起こるなどが追加されるとしている。

(四) 右答申を踏まえて、日本眼科学会は、平成七年一一月九日、理事長名で、次のような指針を示した。

屈折異常の大部分は、眼球の構造上の問題である。したがって、屈折異常の治療は、眼鏡またはコンタクトレンズで矯正するか、根本的には手術によるほかはない。屈折異常のうち、近視の手術は、三十数年前我が国で初めて行われたのであるが、一〇から三〇年後、手術を受けた人の約三分の一が、水泡性角膜症を起こし、失明に近い高度の視力障害を残した。そのため、近視の手術は、長い間我が国では顧みられなくなっていた。一方、海外では、一九七〇年代になって、メスによる角膜放射状切開術が復活し、一九九〇年代からエキシマレーザーによる角膜切除術が行われるようになってきた。これらの方法は、以前の方法に比較して安全性は高いとされてはいるものの、長期予後については不明である。しかし、屈折異常があって、眼鏡またはコンタクトレンズの装用が困難な人や、社会的に良好な裸眼視力を要求される職業を望む人にとっては、屈折矯正手術への期待が大きいことは当然である。平成五年六月(原文のまま)に屈折矯正手術の適応についての答申を受けてから二年が経過した。この間に、我が国におけるエキシマレーザーによる角膜切除術の臨床治験が進められて、この手術方法に対してある程度の評価が可能な時期に来ていると考えられる。この時期に当たり、屈折矯正手術の適応に関する専門委員会を招集して本問題の再検討を委嘱した。その結果、答申を得た。屈折矯正手術を希望する人に対して、この手術のメリットと共にデメリットを理解して頂き、また、情報社会かつ高齢社会の今日、近視の持つ近方視への有利性を踏まえ一生を通して手術を受けるべきか否かを判断してもらうことは必要であり、さらに、屈折矯正手術の術者には手術に当たって留意すべき基本的事項を示すことが、日本眼科学会の使命と考えられる。

(五) 社団法人日本眼科医会は、平成八年九月、報道機関用に、次のような見解を取りまとめた。

RKは、佐藤式とは異なり、角膜内皮細胞に直接メスを入れないため、極端な角膜内皮細胞の減少はない。しかし、角膜に深い切り込みを入れるため、角膜の構造的な強度が弱くなる。手術後の矯正視力の予測が困難である。視力が一日の内に変動する場合がある。外からの光が乱反射することがある。遠視化する例が多数報告されている。角膜内皮細胞の減少が見られる。

現在、近視矯正手術は多くの国で行われ、その方法も進歩している。日本でも、数種の手術機器で治験が行われ、現在厚生省の認可を待っているところである。しかし、多少の問題点が指摘され、認可は遅れるとされている。

屈折異常に対する矯正方法として、最も一般的なものは、眼鏡・コンタクトレンズであり、大多数の人は、これらで十分な矯正視力を得ることができるのに,正常な角膜に手術的操作を加えなければならないか疑問が残る。また手術後の重篤な合併症も数多く報告されており、まだ十分に完成されていない方法ともいえる。

この手術に対する国民の期待は大きく、何とか眼鏡・コンタクトレンズを使用せずに裸眼で生活したいという要望が大きいことも事実である。また眼科医療についての知識を十分に持って眼科医が、熟慮の上慎重な態度をとってきているのに対し、眼科の専門家でない医師がこの手術を施行しているという無視できない事実もある。

日本眼科医会としては、近視矯正手術の正しい普及のためには、十分に検討した上、厚生省の認可を待って、眼科専門医がこれを実施するようにし、そのためには、日本眼科学会と協力して正しい手術の適応を教育し、手術技術のための講習会を開催して、受講者のみが手術を行えるようなシステムにしたいと考えている。

二 被告らの行為について

前記争いのない事実及び証拠により認められる事実並びに《証拠略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1 岩井眼科及び香川眼科において、原告らに対するRK手術を執刀したのは、香川医師、李医師、陳医師及び小神医師である。

(一) 陳は、医師であり、台湾において、RK手術を相当数行っていた。

(二) 香川は、昭和五五年に岡山大学医学部を卒業した医師であり、卒業後二年間臨床研修を受けながら、同学部に籍を置いて神経解剖学を研究し、昭和五七年から昭和六一年まで岡山大学大学院において、病理学を専攻し、その後三年間程度、岡山県内の病院において、内科の診療に従事し、平成二年三月、被告アートメーキング三井の求人広告を見て応募して採用され、平成三年一二月まで、岡山市内にある三井形成クリニックで美容外科の医師として勤務し、平成三年一月から七月にかけて、四、五回、台湾に渡り、陳医師から、合計三〇日程度、RK手術の研修を受けた。その際、甲全16及び英文の本二、三冊、論文四、五点を参考にし、その後にウォーリングの著書をも研究し、同年七月末から平成四年一月一三日まで、岩井眼科において、その後同年七月末まで、香川眼科において、RK手術に従事し、岩井眼科及び香川眼科において、各六〇〇人、合計一二〇〇人程度の患者に対しRK手術を行った。

なお、香川医師は、日本眼科学会認定の専門医ではない。

(三) 李は、医師であり、末武医師が、平成二年ころ、陳医師の下で研修を受けたのにやや遅れる形で、RK手術の研修を受けた。

(四) 小神は、医師であり、他の医師と同様の研修を受けていたものと推認される。

2 岩井眼科は、名義代という名目の金員が平成三年一二月五日に岩井省三医師に支払われていることに象徴されるように、同人の名義を医療法上の開設者の名義として借りて開設された眼科診療所である。岩井眼科では、平成三年七月当時、陳医師が中心的に診療をしていたが、末武医師や李医師も、同眼科に所属していた。その後、香川医師が岩井眼科の診療を主に行うようになってからは、同眼科は、医師としては香川医師一名、受付三名、看護婦四ないし五名、検眼士一名、カウンセラーとして榎本一名で構成されるようになった。そして、診療所の名称を香川眼科として後には、週一日、岡山市内の診療所からカウンセラーが一名派遣されてくるようになった。

3 岩井眼科及び香川眼科は、新聞・雑誌などで、RK手術の優位性、安全性、簡便性を強調した広告を行っていた。これらの広告は、「不便と決別」、「幅広い適応と効果について」、「一〇倍以上視力を取り戻した」、「アッという間に終わる」、「世界八〇万の症例、後遺症ゼロ」といった見出しのもと、リポートや体験者の座談会といった形を取って、手術自体は七、八分で終わること、アメリカ、ソビエト、台湾などで広く行われ、その安全性と有効性は高い評価を得ていること、当院の医師は、外国のRK手術の第一人者の下で技術とライセンスを取得し、現在まで三〇〇〇以上もの手術を行っているので安心であること、手術後しばらくの間は日によって視力が変わったり、時々まぶしく感じることもあったが、今はそのようなことはないとの体験談、国立衛生試験所のデータによるとRK手術が原因での後遺症や視力の低下は報告されていないし、切開自体もミクロ単位で二、三か月もすれば、顕微鏡で見ても分からなくなるくらいであることなど、RK手術は、簡易、安全、かつ有効な手術であることを印象づけるものとなっている。これらの広告のために、座談会に出席したミミ萩原に対し、平成三年一二月一七日に二八〇万円の謝礼を支払った他、月によっては広告経費として月額一〇〇〇万円を超える費用を費やしたこともある。

他方、甲全2及び甲全3には、RK手術の適用、方法、効果、合併症についてのやや詳しい説明があるものの、甲全2には、術前には、角膜厚、軸長測定や内細胞の測定を行うとの記述が、甲全3にはオプティカルゾーンは最低でも三.〇ミリメートル以上の直径の円とすることが大切であるとの記述がある。しかも、これは、榎本が作成した物のようであるが、それが、どのような時に、どのような者に対し、配布されたかは明確ではない。

4 岩井眼科及び香川眼科では、来院者に対して、受付で、診察申込書と予診票に記載させた上で、検眼士と看護婦が、視力、眼底及び眼圧の検査を行い、次いで、医師が細隙灯顕微鏡検査を含めた検査及び診察を行い、最後にカウンセラーが説明を行うシステムになっていた。しかし、香川医師は、角膜内皮細胞測定や角膜の厚みの測定については、必要がないものと考えており、岩井眼科及び香川眼科では、ほとんどの場合行っていなかった。

5(一) 岩井眼科及び香川眼科の手術承諾書には、「その内容や方針などを充分に御説明を受けすべて了承いたしました」、「この手術の効果には個人差もありますので今よりも少しでも視力が改善されれば良いという観点から、手術を受けたいと思います」という旨(ただし、原告古川丈悦が署名押印した岩井眼科の手術承諾書には、後者が「この手術の効果には個人差もありますので場合によっては、再手術を行う事もありうる旨、承諾いたしました」となっている。)が印刷されているが、RK手術の内容、効果、合併症等についての記載はない。

(二) 岩井眼科及び香川眼科の重度近視及び乱視の方の手術念書には、「RK手術によっても近視あるいは乱視が完全に矯正しきれない場合がある事を十分説明を受け納得し、承知の上で手術をお受けしたいと思います」という旨が印刷されているが、その効果の程度やコンタクトレンズ装用上の問題点等についての記載はない。

(三) 香川眼科(平成四年一月一四日開設)では、同年六月二一日までの間、九項目からなる「術後の症状のご注意」と題する書面を使用していた。この書面には、次の内容が記述されている。

(1) 約三か月くらいまで昼間と夜間の視力の変動(特に、夜間視力が低下することがある。)

(2) スターバースト(特に夜間、角膜ラインがにじんで見える。)

(3) 術後一、二週間は近くの物が見づらくなることがある。

(4) 過剰矯正……一〇人に一人くらい、遠視気味になる。

(5) 乱視の強い人の場合は完全な乱視矯正は困難な場合がある。また、三か月以降に再手術が必要なこともある。

(6) 医師の指示に従わなかったり、眼が不潔な状態にさらされた場合まれに感染症を起こすことがある。

(7) 術後角膜の形状が変化するため、人によってはコンタクトレンズが装着しにくくなることがある。

(8) 強度近視で、術後正視に至らなかった人の場合、術後三か月くらい仮の眼鏡が必要になることがある。

(9) 左右の視力に多少の差の出ることがある。

(四) 香川眼科では、その後、一二項目からなる「術後の症状のご注意」と題する書面を使用した。この書面には、次の内容が記述されている。

(1) 昼間と夜間の視力の変動(特に、夜間視力が低下することがある。)

(2) スターバースト(特に夜間、光り物を見たとき、乱反射(グレア)を起こす、平均三か月前後、遅い人で半年、一年以上かかる人もいるので慣れが必要)

(3) 術後数か月間、近く又は遠く、片眼が見づらくなることもある。

(4) 過剰矯正……一〇人に一人くらい、遠視気味になる。

(5) 日中、まぶしさが多少続くことがある。

(6) 乱視の強い人の場合は、完全な乱視矯正は困難な場合がある。また、三か月以降に再手術が必要なこともある。

(7) 術後の定められた通院期間は、治療中であり、自己判断で当院の指示にしたがわないと結果が悪くなることがある。

(8) 医師の指示に従わなかったり、眼が不潔な状態にさらされた場合まれに感染症を起こすことがある。

(9) 術後角膜の形状が変化するため、人によってはコンタクトレンズが装着しにくくなることがある。

(10) 強度近視で、術後正視にいたらなかった人の場合、術後三か月くらい仮の眼鏡が必要となることがある。

(11) 左右の視力に多少の差の出ることがある。

(12) まれに、人によっては、乱視を合併するケースもあるが、治療中は、医院の指示に従い、再手術を勧めることもある。

6 香川医師は、岩井眼科及び香川眼科において、各六〇〇人、合計一二〇〇人程度の患者に対しRK手術を行ったが、その約半数の手術が初回説明日当日に施行したものであった。香川医師がしたRK手術について苦情を述べた患者は、原告らを含めて六十数名であり、被告越山及び穴沢順一が対応にあたった。その中には、感染症により一眼失明し、三六〇〇万円の示談金により解決した件も含まれている。

7 岩井眼科及び香川眼科におけるRK手術料は、その後の検診費用を含め、原則として両眼で七〇万円であり、多くの場合に、再手術料を徴収していなかった。その当時におけるRK手術料の相場は、一般的には三〇万円程度であった。

8 各原告の受診経過及び手術内容については、別冊認定目録記載一のとおりである。

三 全体としての不法行為について

原告らのいう全体としての不法行為の主張は、主張自体明確でないが、これを善解して、いわば、組織全体として営利目的のために危険・違法な医療行為を行ったという趣旨と理解するとしても、次のとおり認められない。

原告らにRK手術を行った者は、香川医師については、日本眼科学会認定の専門医ではなく、他の者も同様と考えられるが、いずれも医師であり、陳医師にはRK手術の経験があるし、他はいずれもその研修を受けた者である。

一方、原告らがRK手術を受けた平成三、四年当時において、日本の眼科医の間では、RK手術の安全性や、有効性には疑問があるとして、その実施に消極的な見解がかなり支配的であったということは明らかである。しかし、これらの見解も、その適応や効果、合併症などについての、長期的な観察や検討の必要性を説いているものであるし、その後に示された学会指針なども、その適応を明確にし、屈折矯正手術を希望する人に対して、この手術のメリットと共にデメリットを理解させ、将来、医療制度の枠内で新しい手術法として位置づけられるべきであるとして、当該時点における慎重な対応を促しているものである。いずれにせよ、これらの見解は、RK手術を完全に否定し、禁止すべきであるとまでしているものではない。

そうすると、平成三、四年当時において、医師がRK手術を行うこと全てが不相当とは考えられていなかったことになる。また、手術の決定及び施行が適正であったかどうかは、各手術毎に個別に検討されるべき問題である。

したがって、原告らに対してなされたRK手術それ自体が全体として不法行為を構成するという主張は、採用できない。

四 債務不履行ないし不法行為について

1 事前告知義務違反

(1) 平成三年八月一四日当時における事前告知義務の内容

原告らのうち、最も早く手術を受けたのは、原告古川丈悦(手術日平成三年八月一四日)であるから、その当時における知見について検討する。

RK手術は新しい方法であるから、長期的な予後が不明であることは自明である。また、既に、我が国においても、昭和五八年には、手術による屈折度の定量化が難しいこと、glareが発生すること、手術によって乱視が発生すること、米国では臨床実験であるPERK studyが開始されていることが紹介され、昭和六〇年には、術後残った屈折異常に対しては、角膜形状の変形のために、コンタクトレンズによる矯正が難しい場合もあり、術後、夜間のグレアなどの視力の変動など種々の自覚症状の残る例もあることが紹介され、平成元年四月には、各種紹介されている中のいくつかには手術効果の定量性(predictability)に関して若干の問題があるものがあること、術後のグレアによる問題や切開を置かない弱主経線方向の角膜曲率増加の問題、あるいは過矯正により術後にかえって増加してしまう遠視の問題、患者に対する説明の重要性などが紹介されていた。

一方、米国においては、一九八七年には、放射状角膜切開術において眼体の三パーセントが四年間で二又は三段階の矯正視力を失い、三六パーセントの眼体に〇.五〇Dから二.七五Dの乱視の増加が見られたことが紹介され、一九八八年及び一九九〇年にはコントラスト感度低下は術後六か月から二年でほとんどの例で回復するが、それ以上持続する例も見られることが紹介され、一九八九年には、グレアが一年以上持続している例や、不正乱視が発生し、一一例中二例ハード・コンタクトレンズの装用が不可能になった例が見られたことが紹介され、一九八九年及び一九九一年には、RK手術の成績が、五三パーセントが術後、プラスマイナス一.〇Dの範囲内にあり、屈折効果の平均は五.一七Dであったり、六四パーセントの症例が術後プラスマイナス一.四Dの範囲内にあり、いずれにせよかなりばらつきがあることが紹介され、一九九一年には、全体の一一パーセントに、一.〇ないし二.七五Dの乱視が発生していることが既に紹介されていた。

そうすると、RK手術のような屈折矯正手術は、眼という代替性のない視覚器の正常な眼球に手術操作を加えるものであって、近視の適切な治療方法といえるか疑問であるとする見解が支配的である状況において、長期予後が不明で、手術の結果、正視といわれるプラスマイナス一Dの範囲に入る確率が六〇ないし七〇パーセント程度であるとされるなどRK手術後の屈折値の予測が困難であり、過矯正(遠視)の出現、矯正視力の低下、コントラスト感度の低下、グレアなどの視力障害が発生し、一度手術を受けると、元に戻すことができない手術である上、そもそもRK手術のような屈折矯正手術は、基本的には、眼鏡又はコンタクトレンズによって矯正が可能な屈折異常について、手術の方法により矯正を図ろうとするものであるから、全く緊急性がなく、また、職業上又は美容上の必要によることが多く、他の医療行為に比べて医学的必要性にも乏しい。したがって、右手術を行おうとする医師は、手術前に、右手術が近視の適切な治療法として未だ確立されたものではなく、効果が出ている例もあるが、確実に所定の効果が達成されるものではなく、逆に、前記視力障害等の発生する危険性もありうることを十分かつ具体的に説明し、その上で、患者がこれらの判断材料を十分に吟味し、近視矯正のための自己の必要・希望を勘案して、右手術を受けるかどうかの判断をさせるようにすべき注意義務がある。

(二) 原告らに対してなされた告知の内容

(1) 前記認定事実によると、原告らに対する告知は、RK手術のメリットを必要以上に強調し、その施行を勧誘したものというべきで、手術承諾書ないし「強度近視及び乱視の方の手術念書」、「術後のご注意」と題する書面に断片的に視力障害や副作用等を記載・交付して署名押印を求めただけで、たかだか、右書面に記載された事項を原告らが一読した限りでの説明がされたにすぎないというべきである。

(2) のみならず、まず、原告らのうち、右「重度近視及び乱視の方の手術念書」に署名した者は三六人であるが、そのうち、右要件に該当する者は二六人(原告宇野恵美、原告鴨田宗彦、原告北川善輝、原告久保文子、原告小西文子、原告酒井勝義、原告沢田悟、原告鶴田潔美、原告中満昭広、原告浜宏仁、原告古川丈悦、原告松田春夫、原告光井学、原告家根谷文美子、原告山口顕寿、原告渡辺資子、原告家原満、原告上田佳孝、原告木村佳弘、原告住言昌彦、原告冨田雅弘、原告高橋信雄、原告田中俊一、原告藤原節夫、原告高橋進、原告田中剛和)であり、その他の原告に関しては、原告橋本淳につき左眼の乱視度数がマイナス五.〇〇と大きいから強度乱視にあたるにしても、残りの九人(原告麻野博嗣、原告柴田規之、原告宮川晃、原告森田浩則、原告柳井豊、原告稲毛チヱ子、原告川添誠、原告松井千世、原告宮野寿子。もっとも、原告森田浩則及び原告松井千世に対し執刀したのは、香川医師ではない。)は、右要件に該当しないにもかかわらず、署名押印を求め、これを得ているのであり、このようなルーズな書面の求め方をしていることからすると、それに署名押印を求めるに際し、どれだけ説明が適正になされたかは疑問があるといわざるをえない。

(3) そして、平成四年一月一三日以前(岩井眼科のころ)になされた手術については、「術後の症状のご注意」と題する書面の交付すらされておらず、平成四年一月一四日から(ただし、この期間において最も早くなされた原告らに対する手術は、同月三一日、原告松田春夫に対するものである。)同年六月二一日までの間になされた手術に関しては、九項目からなる「術後の症状のご注意」と題する書面への署名押印がされているが、この九項目の注意書には、次のような問題点がある。

ア RK手術は新しい方法であるから、長期的な予後が不明であることについては、記述がない。

イ 過剰矯正については、一〇人に一人くらい遠視気味になると記述してあるに過ぎず、過剰矯正になる可能性が低いことを印象づける記述になっている。

ウ 乱視については、乱視が強い人の場合には完全な乱視矯正は困難な場合がありますと記述してある。しかし、原告松田春夫に対する手術が行われた同月三一日までに術後検査を受けた患者らのうち、少なくとも五人(原告鴨田宗彦、原告北川善輝、原告鶴田潔美、原告古川丈悦、原告渡辺資子、原告高橋信雄)については、第一回手術後一眼又は両眼の乱視度数が増悪し、しかも原告渡辺資子についてはそれを改善するための第二回手術が平成三年一二月一三日に行われていたのに、RK手術によって誘発される乱視があることや、それが矯正視力を低下させることもあることについては、記述がない。

エ スターバーストについては「特に夜間、角膜ラインがにじんで見える」と記述してある。しかし、これは、術後約三か月くらいまで昼間と夜間の視力変動があり、特に夜間視力が低下することがあるとする項目と、術後一、二週間は近くの物が見づらくなることがあるとする項目の間に記述してあって、スターバーストが持続する可能性があることを想像し難い配置になっている。コントラスト感度の低下ついては記述がない。

(4) 同様に、平成四年六月二二日以後(ただし、この期間において最も早くなされた原告らに対する手術は、同月二六日、原告川添誠に対するものである。)になされた手術に関しては、一二項目からなる「術後の症状のご注意」と題する書面への署名押印がなされているが、この一二項目からなる「術後の症状のご注意」と題する書面にも、次のような問題点がある。

ア RK手術は新しい方法であるから、長期的な予後が不明であることの記述がないことや、過剰矯正、矯正不足に関する記述は、九項目のものと同様であった。

イ 乱視については、一項目追加され、人によっては、乱視が合併するケースもあるという記述が付け加えられたが、程度をまれとした上、再手術をすすめることもあることをも記述し、矯正が可能である印象を与える記述になっている。

ウ 日中、まぶしさが続くことがあるという一項目が追加され、スターバーストについては、一年以上かかる方もいるという記述が付け加えられたが、前者については程度を多少のものとし、持続する期間を明記していないし、後者についても慣れが必要と慣れの問題に矮小化するような記述になっている。

(5) 他方において、被告らはRK手術の優位性、安全性、簡便性を強調した広告を繰り返していたし、スターバーストやグレアについては、必ずしも出るわけではなく、症状が出たらずっと続くわけでもないとの説明は、かえって、RK手術による合併症は、あっても一時的なものであり、持続するものはないとの印象を与えるものになっているといえる。

(二) したがって、当該原告らに対し手術を行った医師及び説明を行ったカウンセラーらが、失明することは可能性としてゼロではないと説明したり、RK手術は新しい方法であるから、長期的な予後が不明であること、手術による屈折度の定量化が困難で、正視になるのは、六、七割程度であり、その余は過矯正又は矯正不足になっていること、乱視が三割以上発生し、三パーセント程度矯正できない乱視が誘発され、矯正視力が低下した例があること、コントラスト感度の低下やグレアが発生し、しかも一時的なものにとどまらない例があることなどの問題点を説明していたとはいえない。そして、前記のような視力障害発生の危険性が適切に説明されていた場合に、香川医師が、岩井眼科及び香川眼科において手術した各六〇〇人、合計一二〇〇人程度の患者のうち、その約半数が初回説明日当日に手術を受けているという状況が、起こり得たとは考えられない。被告香川や被告榎本の供述は、右認定・説示を覆す程の内容ではない。

なお、甲全2、甲全3には、RK手術の適用、方法、効果、合併症についてのやや詳しい説明があるが、香川眼科では、甲全2では行うとされている角膜厚、軸長測定や内細胞の測定を、原告家原満につき、内細胞細胞数の測定を行った以外、行っていなかったり、甲全3にはオプティカルゾーンを最低でも三.〇ミリメートル以上の直径の円とすることが大切であるとあるのに、ほとんどそれに満たないオプティカルゾーンにしていたなど、記載と実態とが顕著に懸け離れていて、その書類が、どのようなときに、どのような対象に対し、配布されたかは全く不明であって、これを原告らに対し行われた説明の内容として斟酌することはできない。

(三) そうすると、本件RK手術の施行には、事前告知義務違反があり、これにより、原告らは、右手術を回避する機会を奪われたというべきであるから、その結果被った損害につき賠償を求めうる。

2 適正手術義務違反

(一) 手術適応について

原告らは、近視度数が一〇Dを超える近視や一八歳から五〇歳を外れる年齢の患者は、RK手術の適応外であると主張する。

しかし、原告らも援用するソーントンのガイド自体、近視度数を八度以上とする項目を設けながら、特に上限を記載していないし、日本眼科学会の屈折矯正手術適応検討委員会の答申でも特に近視度数の上限は定められていない。その一方、そのような患者に対しRKを施行した場合、正視とすることは期待できないが、近視度数を軽減させることは可能と考えられている。

また、手術対象年齢としては、原告ら主張のようにいわれているが、これは、若年者については、年齢が進むことによって近視が進むことがあり、二〇歳未満の患者では活発な創傷治癒反応により、あまりRKの効果が期待できない一方、老眼年齢層の患者については、矯正のための角膜切開術後にごく僅かな屈折上の過誤を伴った患者は、年齢が増すにつれて視力調節予備力が低下するために、矯正できず、すぐ近くで物を見る能力を失うことになることに基づくが、五〇歳以上の者については、希望があれば担当医の判断によるとしている文献もある。

そうすると、原告ら主張の点は、このような者をRK手術の適用から一律かつ絶対に除外とすべきとするのではなく、より的確な説明と患者の同意が必要であることを示すものと解されるから、説明義務の問題と切り離して、それ自体で独立した適応を決すべき事項とはいえない。

(二) オプティカルゾーンについて

原告らは、切開がオプティカルゾーン内に加えられたと主張する。

RK手術と、矯正視力の低下、コントラスト感度の低下、眩輝(グレア)といった視機能低下との因果関係については、日本眼科学会の屈折矯正手術適応検討委員会が、平成七年、答申において問題点として指摘しているし、本訴において、証人水流がその原理として説明した内容が合理的であることからして、肯定しうる。甲全26中には、コントラスト感度の減少を実証できなかったとする部分があるが、その著者であるGeorge O Waring自身が、同書の冒頭において、これを合併症の一つとして紹介しているとおりであって、この記述は、両者の因果関係を否定するものとは解されない。

また、角膜の中央部に切開線を入れると、それだけ強いグレアやコントラスト感度の低下といった視力障害を起こすため、そこを避けることは眼科医として常識であり、切開を入れない部分(オプティカルゾーン)の直径については、理論的な数字ではなく、米国における種々の報告を踏まえた経験科学的な数字ではあるが、三ミリメートル以上取るとするのが、ソーントンの手術ガイドその他のRK手術のガイドが示してきたところであるし、現在においても原則である。(甲全60の第五章4Cにも、初期の米国のRK手術眼科医の中に屈折矯正の功を焦る余り、オプティカルゾーンを二.六ないし二.八ミリメートルに設定したため、術後長期間、夜間の対向車のライトが気になるとの訴えが続出したことが紹介されている。一方、香川医師は、それ以下にしている報告例があるというが、本件証拠上は、最小二.七ミリメートルとしている報告例が認められるにとどまる。)。

そうすると、オプティカルゾーンの直径を三ミリメートルと未満とした手術を行うことには、原則として、過失があるといえることになる。

しかしながら、グレアに関しては、原因として、より小さいオプティカルゾーンの設定と共に、より幅の広い瘢痕、切開本数の増加、不正乱視の増加があげられていたり、切開本数が影響しているとされたり、オプティカルゾーンが小さい例ほどグレアは強く、切開本数は関係ないという報告があるとされたり、角膜の表面に不正があったり、傷があったりしても起きるとされているなど諸説様々である。また、コントラスト感度の低下についても、切開線の混濁と術後乱視によるとされたり、切開線がオプティカルゾーンに及んでいなくとも不正乱視が発生していれば起きるとされるなどしている。しかも、屈曲矯正のための角膜切開術後の全ての角膜にいくつかの不正乱視が見られるとされている。そうすると、これらの諸説によって、切開とグレアやコントラスト感度低下との因果関係を認めることはできても、更に進んで、その低下などが、オプティカルゾーンの直径を三ミリメートル未満とした切開に起因するのか、他の原因に基づく不正乱視等、RK手術を行う以上不可避な切開に随伴した不正乱視等に起因するのか、あるいはそれらの原因が相まって発生したものであるかを確定することは、できないというほかないことになる。

したがって、別冊認定目録記載一で説示したとおり、RK切開と矯正視力の低下やグレアの発生及びコントラスト感度の低下との因果関係を肯定することはできるが、その原因がRK手術において直径三ミリメートルのオプティカルゾーンの内側に切開が加えられたことに基づくとまで原因を特定することはできない。 (三) 切開の設定値について

原告らは、術前の視力の状態に応じた適切な切開の位置(視軸と切開の角度や視軸と左右ないし上下の切開との距離関係)、切開の本数、切開の長さ、左右の軸に対する切開の異同などが十分に検討されず、一律になされたと主張する。

しかし、原告らになされた切開の位置や本数、切開の長さなどに差異があることは、先に認定したところから明らかであるから、一律であるとする主張には根拠がない。

また一方、切開の位置、切開の本数、切開の長さなどを決定するための計算式には、原告らの援用するソーントンの手術ガイドのほか種々の物が存するが、完璧な計算式はまだ存在しない状態にある。しかも、RK手術については、一般に術後の屈折値の予測が困難で、術後の屈折が、プラスマイナス一Dの範囲に入る確率は、六〇ないし七〇パーセントといわれている。

そうすると、香川医師らの執刀医が切開の位置等を定めるにあたりした判断については、右2に認定したように直径三ミリメートルのオプティカルゾーンの内側に及んだ場合を除き、これを不相当ということはできず、また、原告らに過矯正又は矯正不足を生じた原因を右判断が不相当で違法であった点に求めることもできないから、香川医師らのした右判断に過失があるとか、右過失と結果との因果関係があるとかいうことはできない。

(四) 切開の方法について

原告らは、切開創が角膜に対し直角になるように、かつ、切開創の表面が滑らかになるように切開すべきであるのに、ずさんな切開がなされたと主張する。 しかし、曲線状の相対的な屈折上の結果において、真っ直ぐな切開と異なる効果を有するということを示す公表された証拠はないとされていること、水流医師の報告書でも、切開線内の白濁についてすら、この白濁が視機能にどのような影響を及ぼしているかは不明であるとしている部分があることなどからして、そのことが視機能に与える影響については、不明というほかない。

なお、執刀に先立ってマーキングを全く行わないか、適切に行わないまま、切開を行ったことについては、具体的な証拠がない。

(五) 角膜穿孔について

角膜穿孔を生じさせたことについては、それが微小穿孔(マイクロパーフォレーション)にとどまる限り、ある程度RK手術に伴うものである一方、それを上回る穿孔が発生したことについては、その発生を認めるに足りる証拠はない。

なお、原告酒井勝義の角膜穿孔については、平成四年七月五日の時点で前房虚脱、虹彩の一部脱出に加えて、白内障の発生が認められたことは既に認定したとおりである。しかし、その前に診療を行った同年六月二九日では、穿孔の発見が可能であったことは必ずしも認められないことも既に認定したとおりであるから、この点に過失があるということはできない。また、右七月五日の時点では、人工水晶体移植をなしうる医師の診察を直ちに受けさせるべきであり、この点に過失があるということになるが、右の症状が既に発生してしまった以上、そのことによって同原告の症状が更に憎悪したという関係は認められないことになる。

(六) まとめ

したがって、切開が直径三ミリメートルのオプティカルゾーンの内側に及んだ場合には、適正手術義務違反があることになるし、原告酒井勝義について、平成四年七月五日の時点で人工水晶体移植をなしうる医師の診察を直ちに受けさせなかったことには過失があることになるが、手術の施行及び手技に関するその余の過失は、肯定できないことになる。また、右認められる過失のうち、前者については、それが視力障害の原因となったかどうかを確定できないし、後者については、視力障害の憎悪との因果関係を肯定し得ないから、これらの右過失と損害との因果関係を認めることはできない。

五 被告らの責任

1 被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井について

(一) 争いのない事実及び《証拠略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 被告アートメーキング三井は、昭和六一年八月二九日、東京都国分寺市泉町三丁目三四番五号を本店所在地とし、美容用品、化粧品の販売、健康器具の販売、日用雑貨品の販売、前各号に付帯する一切の業務を目的として、中嶋直喜らによって設立された株式会社であり、設立にあたり、藤田が五パーセントを出資した。そして、以後、中嶋直喜が代表取締役、被告越山が取締役、藤田が監査役及び顧問税理士を務めた。

被告エイエム三井は、平成二年七月九日、東京都台東区東上野四丁目一六番六号を本店所在地とし、化粧品の販売、前号に付帯する一切の業務を目的として、中嶋直喜らによって設立された株式会社であり、株式は中嶋直喜が九五パーセント、藤田が五パーセントを所有し、以後、中嶋直喜が代表取締役、被告越山が取締役、藤田が監査役及び顧問税理士を務めた。また、平成三年一一月八日には、同年八月三一日付で被告中嶋が取締役に重任した旨の登記がなされた。

被告アートメーキング三井は、平成二年一一月一日、本店所在地を東京都新宿区高田馬場四丁目二番二九号に、被告エイエム三井は、平成三年一一月一一日、本店所在地を東京都渋谷区本町六丁目一九番六号に移転したが、経理事務を含めた本社業務は、その前後を通じて、全て東京都国分寺市泉町にあった事務所で行われていた。

(2) 中嶋直喜は、平成三年四月二日から八日にかけて、有限会社ケイセイ九州、有限会社ケイセイ東京、有限会社ケイセイ中部、有限会社ケイセイ関西、有限会社ケイセイ関東を設立した。これらは、いずれも、医療用設備、機械器具の賃貸、医療機関に対する経営コンサルタント業務、及び前各号に付帯する一切の業務を目的とする有限会社であり、中嶋直喜が代表取締役に、藤田が取締役に就任した。、これらの会社の持分は、全て中嶋直喜が保有していた。

被告アールケー大阪は、平成三年一一月二一日、東京都豊島区目白五丁目三〇番八号を本店所在地とし、医療機関に対する経営コンサルタント業務、前号に付帯する一切の業務を目的として、中嶋直喜によって設立された有限会社であり、中嶋直喜が代表取締役、被告中嶋が取締役としてそれぞれ就任登記されている。(なお、被告アールケー大阪の役員の点については、本件記録上明らかである。)

(3) 被告アートメーキング三井は、設立後、全国に直営店約三〇店舗、代理店約一〇〇店舗を有して、アートメーク(メイクエステ)を行う会社に成長した。そして、時期は不明であるが、中嶋直喜は、美容外科や形成外科も一緒に経営するようになった(これらを、中嶋直喜が個人として経営していたのか、被告アートメーキング三井ないし被告エイエム三井の代表者として経営していたかについては、後に判断する。また、そのいずれかが経営していた医療機関を総称して、以下「関連病院」という。)。

この間、被告アートメーキング三井には、その、アートメーキングという社名のために、同社とは無関係なアートメークに関する苦情が寄せられるようになったため、中嶋直喜は、平成二年七月九日被告エイエム三井を設立し、同社との取引を順次、被告エイエム三井との取引に切り替える方法によって、被告アートメーキング三井の事業を全て被告エイエム三井に継承させた。しかし、中嶋直喜は、その後も、被告エイエム三井のために、そのまま被告アートメーキング三井名義の預金口座を使用し続けるなどした。

被告アートメーキング三井及び被告エイエム三井では、中嶋直喜の生前には、中嶋直喜のアイディアで事業を進めており、取締役会等の会議は開かれていなかった。被告越山は、中嶋直喜と昭和四八年ころから付き合いがあり、副社長として、両社営業や人事管理を始めとする全般的な会社運営に経理面を除いて携わってはいたが、経理面については、中嶋直喜が全てを決定していた。そして、中嶋直喜は、香川医師の採用を自ら行い、その給与についても、自ら決定していた。

被告越山は、中嶋直喜から、RK手術について調査するように指示されるとともに、協力者の友人である陳医師が台湾で唯一RK手術の専門医として活躍していると聞き、平成三年二月ころ、RK手術を受け、その結果及び日刊ゲンダイという日刊紙に一か月ほどにわたって連載されていたRKに関する記事のコピーを添えて中嶋直喜に報告した。そして、被告越山は、RK眼科の広告を側面から応援したり、RK眼科の開設場所の賃貸借契約を担当したりし、香川眼科の仕事に従事している間は、被告エイエム三井の役員としての基本給三五万円の他に、香川眼科から毎月五〇万円くらいを受け取っていた。

(4) 香川医師は、平成二年三月、被告アートメーキング三井の求人広告を見て応募して採用され、平成三年一二月まで、岡山市内にある三井形成クリニックで美容外科の医師として勤務し、その後、岩井眼科で勤務するようになった際も、特に開設名義人である岩井省三医師との間で雇用契約を改めて締結していないし、香川眼科の開設者となった後も、被告アートメーキング三井ないし被告エイエム三井の社会保険を使用していた。そして、香川医師としては、香川眼科の経営は、被告アートメーキング三井ないし被告エイエム三井がしており、被告アートメーキング三井ないし被告エイエム三井から給与を受け取り、平成四年七月に、香川眼科の業務を引き継いだ相手は、被告エイエム三井に雇われていた小神医師であり、同年九月には、自分は被告エイエム三井を退職したものと認識していた。

一方、榎本は、平成元年九月、被告アートメーキング三井に入社し、エステティックサロンの雑用等に従事した。その後、榎本は、平成二年春ころ、大阪府吹田市江坂の美容外科に、同年七月三井形成クリニック名古屋院に、平成三年一月三井形成クリニック岡山院に配転され、いずれも包茎手術のカウンセリングに従事し、同年四月岩井眼科に配転され、岩井眼科及び香川眼科では、RK手術のカウンセリングに従事し、平成四年一一月一五日退職した。榎本は、被告アートメーキング三井、被告エイエム三井や被告アールケー大阪の取締役ではなく、被告エイエム三井の従業員として同社から給与(月給)の支給を受け、また、同社の社員として社会保険証の交付を受けていた。

穴沢は、平成三年八月三一日、被告エイエム三井の取締役に就任した。穴沢は、かねてから、美容外科部門の責任者として、同部門における紛争解決業務に従事していたため、平成四年三月ころから、香川眼科のクレーム処理を担当し、これにあたった。

(5) 香川眼科の医院建物の賃貸借契約(平成四年二月二九日付)は、被告エイエム三井を賃借人、中嶋直喜をその連帯保証人として締結されたものである。また、右契約解消後、患者らの定期検診は、大阪市東淀川区東中島一-二一-三三俵ビル五階の伊藤クリニックで行われたが、その場所は、平成元年七月一日から、被告アートメーキング三井が賃借していたものであった。また、関連病院の建物賃貸借契約も、全て被告アートメーキング三井ないし被告エイエム三井名義で締結されていた。

(6) 岩井眼科及び香川眼科の売上金については、直接には、岩井眼科中嶋直喜、香川眼科中嶋直喜、中嶋直喜といった名義の預金口座に入金され、管理されていた。しかし、これらの通帳からは、平成三年一二月二五日社長渡しとして一〇〇〇万円、平成四年一月一六日本社送金として五〇〇万円、平成四年一月三〇日社長渡しとして二〇〇万円、同年二月二〇日社長渡しとして一〇七四万八一四〇円、同年三月一八日、本社送金として二五〇万円、同年四月三〇日本社へ所得税など振込として一九一万六六八六円、同年五月二九日本社へ所得税など振込として二六九万三八九八円が払い戻されたり、逆に平成三年五月一五日三井形成クリニック岡山から一〇〇万円、同広島から四〇〇万円、同月二七日同新大阪から一〇〇万円、同岡山から二〇〇万円、同年六月一七日被告エイエム三井から四〇〇万円が振り込まれるなどしていた。

一方、杉本順子は、昭和四九年ころ、中嶋直喜が経営していた三井通商という会社で、経理事務に従事していたことがあったが、平成元年七月一日から、中嶋直喜の人づての依頼により被告アートメーキング三井及び被告エイエム三井の東京都国分寺市泉町の事務所で、右両社の経理事務に従事した。杉本は、経理事務を全て中嶋直喜の指示に基づいて行っており、中嶋直喜に交付した現金の中には使途が不明で、社長渡しとして帳簿に記載したものがあった。

被告越山は、中嶋直喜死亡後の平成四年一〇月二八日、杉本から、同人がその当時管理していた通帳類の引渡しを受け、その口座名及び残高を甲全55の一覧表に取りまとめたが、これらの預金残高の合計は、九億九三〇〇万円を超えていた。また、これらの通帳の中には、次頁の医療機関名義預金一覧表のとおり、関連病院の名義のものが含まれており、それらの預金の残高(ただし、同表において、福岡形成眼科益田幸行名義分の残高二四万円は、他名義分四冊の合計である。)合計は、四億五五〇〇万円に達していた。その他に、中嶋直喜の個人名の上にエイエム三井の店名や地域名を付した預金通帳も二五冊、残高合計二億二〇〇〇万円に達していた。

(7) 中嶋直喜は、同年一〇月一九日、不慮の事故により落命及び会社の経営が不能となったときは、アートメーキング三井全店と三井美容整形形成外科全院の管理運営などを現状維持を条件として、権限を委譲する旨の藤田宛の経営権の委譲書を作成したが、その際には、被告エイエム三井(ただし、AM三井と表記した。)代表取締役の肩書を付してこれを作成した。

(8) 有限会社アールケー大阪を名宛人とする源泉所得税領収証書や労働保険料領収書、同社を名宛人とする源泉所得税の加算税賦課決定通知書・領収証書もあるが、これらは、納付日を平成四年七月八日以降とする物に限られているし、それらの納付は第一勧業銀行国分寺支店又は東京都民銀行西国分寺支店でなされている。また、被告越山は、中嶋直喜が死亡するまで、被告アールケー大阪が設立されていること自体を知らなかった。

(二)(1) 被告アートメーキング三井及び被告エイエム三井相互間及び中嶋直喜との関係

右の事実からすると、被告アートメーキング三井及び被告エイエム三井は、株主構成及び役員が同じで、被告アートメーキング三井は、被告エイエム三井に営業をなし崩し的に移転させ、しかも営業の移転完了後においては、被告エイエム三井は被告アートメーキング三井名義の預金口座の使用を継続し、中嶋直喜は、両社の株式の九五パーセントを有する両社の代表取締役として、取締役会などを開かないまま、自己の意思に基づいて両社の運営を行い、経理上の決定権限についても全て掌握し、両者及び個人間の明確な区別なく金員を授受し、これを使用、消費するなどして、両社の財産及び個人財産の相互間での混同が継続的に行われていたものと推認でき、その他、前記認定事実からすると、右両社は、中嶋直喜を唯一の実質的経営者として、法人相互間及び個人を含め、明確に区別し得ない状態で一体として運営されていたということができる。

したがって、被告アートメーキング三井ないし被告エイエム三井の法人格は、両者の関係及び中嶋直喜との関係においていずれも形骸化していたものと認められる。

(2) 岩井眼科及び香川眼科の経営主体

右の事実からすると、形成外科の事業は、被告アートメーキング三井ないし被告エイエム三井が賃借した建物において、右両社が雇用した人が行い、その預金は右両社が管理していたこと、右両社の代表者である中嶋直喜も形成外科全院の管理運営などの経営権の委譲書を被告エイエム三井代表取締役の肩書を付して作成するなどしていたこと、岩井眼科及び香川眼科の事業も、右形成外科の事業と同様に右両社が、賃借建物、人、預金を管理する態様で行われていたこと、経理処理は、岩井眼科や香川眼科内部で完結することなく、源泉所得税に相当する金銭やこれに限られない資金が被告エイエム三井との間で授受されていたことなどからして、中嶋直喜は、右事業を右両社の事業として行っていたものと認められる。なお、右認定のように経理処理は、岩井眼科や香川眼科内部で完結してはいなかったが、その一部は、その場で行われていたものであって、岩井眼科や香川眼科自体の収支を明確にすることが要請されていたことがうかがわれるから、これらの売上がアートメイク部門の売上帳であると認められる乙ホ6及び乙ホ7に直接計上されていなかったことは、右認定の妨げとはならない。

(三) まとめ

以上によれば、被告アートメーキング三井ないし被告エイエム三井は、岩井眼科及び香川眼科において、原告らに対しRK手術を行った香川医師ら執刀者の使用者であり、かつ、原告らとの間の診療契約の当事者であることになるから、使用者として不法行為に基づく損害賠償責任を負うと同時に、契約当事者として債務不履行責任を負うことになる。

2 被告越山について

同被告の責任として、どのような法条に基づく主張がされているのかは、明確ではないが、いずれにしても、《証拠略》によれば、被告越山は、被告アートメーキング三井及び被告エイエム三井の取締役副社長であったが、代表取締役に就任したのは、中嶋直喜死亡後の平成四年九月二三日であるし、それ以前においては、医師らの人事権を含む経営権を中嶋直喜が全面的に把握していたことを認めることができる。

そして、また、RK手術による高額の手術代金の収得を企図したとの主張については、既に判示したように、個々の手術の過誤の問題を切り離した場合、その行為自体を違法行為とは言い難いという意味において、これを認めることができないし、被告越山が個々の医療行為そのものに関与したことについては証拠がない。

そうすると、原告らの主張自体明確ではないが、被告越山には、不法行為責任上の故意、過失があったということはできないし、取締役の職務を行うにあたり、故意又は重大な過失があったということもできない。

したがって、同人に対する請求は理由がない。

3 被告エフエムエスについて

《証拠略》によれば、伊藤クリニック所在地の建物賃貸借契約については、平成四年一〇月二九日の被告アートメーキング三井の解散後、被告エフエムエスが賃借名義人になっている事実が認められる。

しかしながら、《証拠略》よれば、被告エイエム三井は、平成四年九月二三日、被告越山や藤田らで相談した結果として、RK眼科事業を取りやめることとし、伊藤クリニックが行っている業務は、岩井眼科及び香川眼科の患者らに対する事後的な検査業務に限られること、被告エフエムエスが賃借名義人になるにあたっては、穴沢との間で、一切の迷惑を掛けないから借主の名義を貸してほしい旨の同年一一月一〇日依頼書及び保証金返還請求権を含め一切の権利義務が穴沢に帰属すること等を確認する旨の同月一五日付確認書を取り交わしていたことを認めることができるのである。また、被告エフエムエスが、RK手術の事業を行っていることについては証拠が全くない。したがって、被告エフエムエスが伊藤クリニックの経営を行っていることや、伊藤クリニックや被告エフエムエスがRK手術を行っていることもまた認めることができないから、被告エフエムエスがRK手術の事業を承継したとは認められない。

次に、《証拠略》によれば、被告エフエムエスは、被告アートメーキング三井又は被告エイエム三井の行っていた美容整形外科(形成外科)の事業を受け継いだことが窺われるが、右事実が認められたとしても、RK事業を承継したと認められない以上、当然には、被告エフエムエスの責任を肯定しえない。

したがって、原告らの被告エフエムエスに対する請求は理由がない。

六 損害について

1 視力障害について

視力とは、一般に、二点を識別できる眼の能力のことである。

労働者災害補償保険法施行規則別表第一及び自動車損害賠償保障法施行令別表は、いずれも視力障害による障害の等級を定めているが、これらは、屈折異常がある者については、矯正視力について、万国式試視力表によって視力の測定をするものとしている(各別表備考一)。これは、屈折異常による視力障害については、眼鏡等により矯正が容易であるから、それ自体は障害にあたらないことに基づくものと考えられる。そして、万国式試視力表とは、白面上に、黒線で描いた環の外径が、視角五分、その環の切れ目が視角一分に当たる大きさの図形、すなわち、五メートルの距離にある直径七.五ミリメートルの図形ランドルト環を、視野照度約二〇〇ルクスの明るさにおいて、その切れ目が見分けうる場合に、その視力を一.〇と定め、被験者の見分け得る最小の図形をこれに比較して、その視力を推定するものであることは公知の事実である。したがって、視力障害は、原則的には、遠方・矯正視力に基づいて認定されるべきことになる。

しかしながら、遠方・矯正視力に障害はなく、近方・矯正視力のみに障害がある場合であっても、そのような障害が存する限り適正に斟酌されなければならないのは当然である(労働者災害補償保険法施行規則一四条四項及び自動車損害賠償保障法施行令別表備考五は、いずれも、各別表に掲げるもの以外の障害については、その障害の程度に応じ別表に準じて障害等級を定めるものとする旨を規定している。)。そこで、近方矯正視力の低下が、日常生活に及ぼす支障の程度について検討すると、証人水流は、日常生活上の支障について、近方矯正視力〇.五ないし〇.六の場合には、可能性があるとするにとどまっているのに対し、近方矯正視力〇.四の場合には、近業を主にする仕事であれば支障が出る可能性が高いとし、近方矯正視力〇.三あるいは〇.四は、近業に支障が出る視力と考えられると証言している。要するに、近方視力が〇.五ないし〇.六の場合には、単なる可能性の程度にとどまるとしているのに対し、近方視力が〇.四以下になった場合については、高度の可能性を認めているものであるから、そのような場合に後遺障害等級表が予定している視力障害があるものと認めるのが相当である。

その場合における等級表の準用の方法であるが、例えば遠方視力が〇.七に達しなければ、第一種普通自動車免許の取得に一定の支障が生じる(道路交通法施行規則二三条)のに対し、近方視力が〇.四以下であっても遠方視力が〇.七以上であれば、それはないことなどを考えあわせると、右近方視力障害を遠方視力障害と同じ障害等級にまで位置づけることはできず、直近下級に位置づけるのが相当である。また、近方視力障害についての等級表の準用は、右等級表を補完する趣旨で行うものであるから、同一の部位の遠方視力障害が近方視力障害の等級よりも上位等級の障害として評価される場合には、その上位の等級のみでこれらの障害を評価すべきことになる。

なお、RK手術は、裸眼視力の改善を目的とするものであることは、確かであるが、視力の持つ意味から考えると矯正視力に基づいて障害の有無を判断するのが相当であって、裸眼視力の比較によるべきであるとする見解は採用しない。

2 調節機能障害について

一般に調節とは、水晶体の屈折力が増すことにより眼の全屈力が増加して、近くの物体が網膜に明瞭な像を結ぶ機能のことをいうとされている。しかしながら、RK手術そのものは、角膜に切開を加えるものであって、水晶体に作用を加えるものではない。

したがって、その後、人工水晶体の移植がなされ、水晶体の調節力が奪われたような場合などを除けば、調節機能障害とRK手術との間には、因果関係がないことになる。

もっとも、RK手術によって、コントラスト感度の低下やグレア障害が生じうることは、先に見たとおりである。そして、グレアとはまぶしくて見づらい現象全般をいうものであって、それに伴い痛みが生じる場合である羞明よりは広い概念であること、コントラスト感度の低下の程度については、証人水流は、検査に用いた装置で設定されている正常範囲よりも一段階低いものを軽度低下、二段階低いものを中等度低下、三段階以上低いものを高度低下と区分して表現したこと、証人水流は、軽度低下の場合を正常範囲内にあると説明することがあるのに対し、中等度低下の場合をはっきりと見えない症状の一因とし、高度低下の場合を強い支障の原因と説明していることを認めることができる。そうすると、これらの障害を、全て羞明と同等のものとまで考えることはできないことになるところ、術後数か月の期間を超えて、現時点までもサングラスが離せない状態になっていることを証拠上認定できる原告は存しないから、羞明があるとする主張は採用できないことになる。しかし、これらの感度が中等度以上に低下した状態が昼夜を通じて発生し、見づらい状態になっている場合については、労働者災害補償保険や自動車損害賠償責任保険関係の認定基準では、正面視で複視を生じる場合に、両眼視することによって高度の頭痛、めまい等を生じ労働に著しく支障を来すものとして一二級を準用するものとされている例にならい、右各保険関係の障害等級でいうところの一二級の障害と認めるのが相当であるし、夜間など一定の条件の下で中等度以上に低下した状態が出る場合については、労働に著しい支障を来すとまでは認められないものの、神経症状があるものとして右障害等級でいうところの一四級の障害と認めるのが相当である。

3 各原告らについて

各原告それぞれの損害は、別冊認定目録記載二のとおりである。

そして、同目録記載一において認定したとおり、各原告の本件RK手術前の遠方矯正視力は、ほとんど一.〇であり、原告鴨田宗彦が〇.七、同久保文子が〇.七と〇.八、同小西文子が〇.九と一.〇、同松田春夫が〇.七と〇.九、同家根谷文美子が〇.九と一.〇、同上田佳孝が〇.九と一.〇であるが、いずれも正常な範囲の矯正視力であり(なお、原告家原満が〇.八と〇.二、原告冨田雅弘が〇.九と〇.六、原告高橋信雄は〇.六と一.〇であるが、前記のとおり既存障害として斟酌している。)、近方矯正視力、コントラスト感度低下については、術前の検査データがないが、別冊認定目録記載一で説示した症状の経過や術前において近方視力、コントラスト感度に問題とするような障害があったことを窺わせる証拠がないことからして、正常な範囲にあったものといえる。

第二  結論

よって、第三ないし第六原告らの被告エイエム三井及び被告アートメーキング三井に対する請求を、右認定の損害額及びこれに対する不法行為の後である付帯請求起算日から支払済みまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、主文のとおり判決する。

手術の効果に影響を与える因子

1 年齢では高年齢者ほど強い効果が得られる。

2 性差では女性よりも男性の方が強い効果が得られる。

3 術前の近視が強いほど強い効果が得られる。

4 術前の角膜カーブがスティープ(steep)なほど強い効果が得られる。

5 眼圧が高いほど強い効果が得られる。

6 角膜径が大きいほど強い効果が得られる。

7 切開の深さが深いほど強い効果が得られる。

8 切開線の本数が多いほど強い効果が得られる。

9 オプティカルゾーンが小さいほど強い効果が得られる。

10 より経験をつんだ医師の方がより強い効果が得られる。

医療機関名義預金一覧表

名義人、預金残高(円)

福岡形成眼科益田幸行、240,000

三井形成クリニック名古屋末武信宏、5,980,000

アートメーキング三井美容外科江坂末武信宏、1,690,000

アートメーキング三井美容外科福岡菱川一実、8,720,000

アートメーキング三井美容外科上野山本修二、2,170,000

アールケー岡山中嶋直喜、2,050,000

アールケー大阪中嶋直喜、14,620,000

アールケー中部中嶋直喜、6,630,000

アールケー東京中嶋直喜、7,820,000

形成福岡院中嶋直喜、68,560,000

形成上野院中嶋直喜、33,740,000

形成名古屋院中嶋直喜、57,170,000

形成岡山院中嶋直喜、50,570,000

形成江坂院中嶋直喜、6,860,000

形成新大阪院中嶋直喜、8,530,000

形成上野歯科中嶋直喜、1,070,000

形成江坂歯科中嶋直喜、1,050,000

形成名古屋歯科中嶋直喜、4,250,000

有限会社ケイセイ東京中嶋直喜、15,320,000

有限会社ケイセイ中部中嶋直喜、22,350,000

有限会社ケイセイ関西中嶋直喜、47,200,000

有限会社ケイセイ関東中嶋直喜、13,400,000

有限会社ケイセイ九州中嶋直喜、13,660,000

有限会社アールケー大阪中嶋直喜、14,190,000

有限会社アールケー福岡中嶋直喜、20,320,000

有限会社アールケー名古屋中嶋直喜、13,350,000

有限会社アールケー東京中嶋直喜、13,690,000

合計、455,200,000

(裁判長裁判官 若林 諒 裁判官 松井 英隆 裁判官 森岡礼子)

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